ニューヨーク特派員報告
第17回

情報の周波数


 何度か死にかかって結局バリ島で溺死してしまったかつてのバンド仲間だった天才漫画家高木りゅうぞう君が、彼の作品の中で、コンクリートには何の情報もなく、情報を断たれてしまったら人間は発狂するけど自然は沢山の情報をもっていて、例えば一本の木、一枚の葉のもっている情報は相当なものらしいから自然の中の人間はマトモでいられるというメッセージを残し、それは今だにしばしば僕の中で想起されたりする。 

 去年の誕生日は33年前にフラワーパワーで湧いたウッドストックフェスティバル跡地で過ごした。限り無く続く野原の丘と牧場だらけのとても空気の美味しい深い山の中で、キャンプサイトに辿り着く道はとても分かりにくく曲がりくねっていて迷ってしまった。実際のウッドストックの街からは随分離れた場所で正確にはベセルという村。しかしまさかそこがフェスティバル開催地だったなんてその時は気付かずアパートにもどって検索してから知り、ひどく感動した。とても神秘的な朝だったからだ。よくマンハッタンに籠りっきりでいると気が変になるとか、精神的に良く無いとか聞く。ポーンと何処かへ身を晦ますのは僕には容易な事ではないけど、アメリカ人達は結構それをよくやる。環境インプロ哲学詩人のフッカーなんかは毎年夏3ヶ月はカリフォルニアの自家発電の山小屋へ閉じこもるし、エレクトロプータスのマイクも夏は1ヶ月メイン州に帰る。サマーサブレットといって夏の間アパートを又貸ししている所はいたるところにある。クイーンズや、ブルックリンなどの郊外?へ行くと空の広さとその静けさに吃驚する時があるけど、名東区の実家に帰った時は余りの静けさにまるでジョン・ケージが完全無音の部屋に入った時のごとく耳鳴り(血管を行き交う己の血の音)がしてしまった。フッカーいわく山にはいって二週間目に入ると、耳は完全に変わるらしく、何百メートルも先の獣の歩く音が聞こえるようになるので、その後、街に出てくるとそのセンシティブな聴覚は人の声でさえ暴力的なまでにノイジーに感じて困ってしまうそうだ。そう言えば、自分の毛ののびる音を聞いたという人もいた。

 5年前、原宿の様に人通りの激しいブリーカー通りに面したアパートに住んでいた時は四六時中たえる事なく雑踏の音が聞こえていたので、それをかき消すがごとく4トラックに魂を込めて非日常的な音を吹き込んでいた。週末になればクラブかラウンジで、爆音を背に耳もとでがなりあうストレスリダクションで、更に脳に追い討ちをかけ、結局音響系ではアブストラクトや、イルビエント(病的環境音楽)なんかが巷のヘビィロウテイションになってしまうのだった。

 飛び込んでくる情報や、見つけだす情報をコンピュータはそれに単位をつけることでオーガナイズしたけど、都会の無関心が妙に居心地が良くなってしまっている鈍ったインスティンクトは5ギガバイトの偶発性もしくは完璧に近いブランクを期待してしまうが、一見凄い勢いで変化し続けてる街の本質は一貫してみえる。でも本当に人間をマトモでいさせてくれる情報の周波数は地球そのものから発されているに違いない。


モクノアキオのエレクトロプータスは8/25のロングアイランドシティのフェステイバルに出演します。詳しくはwww.spiraloop.comにて最近どんどんアップしてます。よろしく!!


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