しゃちの部屋第3回

 みなさんこんばんは、やぶいぬの犬男です。このコーナーも、はや3回目を迎えました。僕自身、少しづつ原稿を書くことにも慣れ、パソコンのキーボードを人差し指だけで叩く事もなくなってきましたが、みなさんにはこの「0から創るコモンセンス」、ご理解いただいているでしょうか。「コモンセンス」というのは一言で言うと、「常識」みたいなものなんですが、僕は、「人それぞれがまったく違う道を歩んでいるのに、なぜか重なる根本的な共通感覚」と解釈しています。今回も、あなたの「心の小さな窓」を刺激して、それが何かのきっかけになったり後押しになったりすればうれしいです。

 犬男の2000年3月〜犬男の音楽は「移行対象」?

 「人間の幼児は、母親と一体化した幸福な自分だけの世界に生きていけるが、だんだん他人と共有できる外的現実を受け入れていかなければいけない。そういう内的な空想や幻想の世界と、外的で客観的な現実の世界、この両者の橋渡し的世界を『移行領域』と言い、そこに幼児を元気づけるために現れるものを、『移行対象』と言う。」

 いきなり軽い精神分析から始まりましたが、今回は、僕にとって音楽とは何だ?という素朴な疑問をサイコロジックに考えてみようと思います。

 「移行対象」は具体的に言うと、犬のぬいぐるみとか、手編みのセーターとか、他人には理解されない自分だけの宝物。年齢が進むにつれ、「移行領域」から抜け出し、そういう「移行対象」の意味もだいたいなくなってしまうものなんですが、皆さん実はオトナになっても捨てられずに持っていたりしませんか?嫁入り道具にぬいぐるみを入れた紀子様、テディベアを集めている科学者、のようにほかの面で立派なオトナが、どうやらそうやって中間領域を保ち続けて、時々そっとそこに帰る事で、辛い外的現実に立ち向かうエネルギー補給にしてるようです。でもそれは「その人の意外なチャームポイント」にもなるから、他人に強制さえしなければ大切にしてもいいですよね。

 ここでふと思ったんですが、僕の「移行対象」といえば、初めて買ったレコード(ハイスクールララバイ)とか、小5の時に買ってもらったWラジカセとか、ギターとか何かと音楽関係の物が多いです。そして今現在の僕は、会社員をやる傍ら、バンドをやっているただの人。という事は、辛い外的現実は会社、「移行対象」は音楽、つまり僕にとっての音楽は、「移行対象を引きずっているだけ」という事になります。

 実際今は、そうかもしれないです。でもそれだけじゃダメなんです。ただ演奏をして「あー楽しかった。明日もお仕事がんばろう!」って事になってしまう。そうではなく、自分の創ったものを、自分の責任において外的で客観的な現実の世界まで持っていかないといけない。そうしないと他人までは伝わらないし、おもしろくない。そんな気がします。

 やっぱり僕は音楽を、「オトナになっても持ち続けてるその人の意外なチャームポイント」では終わらせたくはない。僕の日常であり、かつたくさんの人が共感できる現実の世界のものにしなければならないと思います。