![]() みなさんこんばんは、孤高のエッセイスト、やぶいぬの犬男(いぬお)です。連載第1回目の御好評、誠にありがとうございました。今回もこのうさんくさい日本社会にずっぽりメスを入れ、自分らしく生きていくために「何か」を模索している人達と共鳴し、リアルで新しいコモンセンスが生まれる事を願いつつ、書きたおします。 犬男の2000年2月「流行」ってなんだ? ぼくは物事をシンプルに考えるのが癖だ。自分が余裕で解釈できる最小限のポイントだけきっちりおさえて抽象的に考える。そうすると不思議な事にそのポイントが、全然違う出来事にあてはまったりするんだよね。ことわざみたいに。だからぼくは何かを决断する時、それを方程式にして答えを見い出す事がよくある。 去年の秋頃に、NHKでM亜門さんが「流行」についての番組をやっていた。「流行とは、集団で同じものを持たなければいけないという人の心理だ。」とかいっていろいろ分析していた。ふん!犬男君は人に流されたりはしないぜ!と思って見ていたが、後からちょっと考えた。70年代流行ったベルボトム。80年代、ぼくが小学生の時、兄のお古を「かっこわるいよー!」と泣きじゃくって嫌がったのに、90年代、高校生のぼくはインディゴがスカイブルーになるまで履きつぶした。そして今ではかっこいいのか悪いのかわからずどっかにしまってある。あれれ? んーー? やはりぼくの中にも「流行」は浸透していた。この後ぼくは「流行」をシンプルに考えてみた。 ひょっとしてこの世の中「流行」な物とそうでない物しか存在しないんじゃねーの?しかもそのほとんど全てが「流行」な物じゃねーの? 世の中のほとんど全ての物に流れがある。例えば僕達の身の周りにある物、服、かばん、靴、ペン、ジュース、本、紙、音楽、なんでもいいんだけど全てに流れがある。だとしたら、ぼくらみたいなオリジナリティーとかを追求している人間とかは、結局「流行」の中であがいているだけなのか?つまり、アーチストと言っても、限られた枠の中で組み合わせをする事しかできないのか?んーー? ところで「流行」じゃないものってなんだと思う?ぼくは究極に言うと、「人間」だと思う。エヴァンゲリオンもそうだったけど(ちょっと違うかなあ?)結局すべては人が創った物だから、やっぱ「人間」っつうのを攻略しないと根本的な解決にならないし、「流行」の核もつくれないと思う。どんな高価な物よりも一人の「人間」の方がおもしろいし重要だからね。かといって「流行」がまったくないとつまらないんだよね。だからもし「何か」を創ろうとする時は、「人間」っていうのと、「流行」っていうのの両方を攻めていく事が大切なんじゃないかな。 御意見、御感想をやぶいぬアンケートに書いて下さい。 |