ニューヨーク特派員報告
第220回

メトロポリタン歌劇場


先日、初めて世界最大級といわれるメトロポリタン・オペラ(MET)に行った。最近、仲良しになったジェームスがそこで働いていて、招待してくれたのだ。ずっと行ってみたかったのだが、結構値段が高いのでためらっていたけど、念願叶って幸せであった。作品もアルバン・ベルク(20世紀の無調音楽の旗手)の『ヴォツェック』。ずっと観たいと思っていたオペラだった。

METはミッドタウンにあるリンカーン・センターというニューヨーク交響楽団やシティ・バレエなど複数の劇場などが隣接する場所にある。そのモダン建築の中には、豪華なシャンデリアや真紅のベルベットの絨毯などが敷き詰められたかなりゴージャスな雰囲気が漂っていて、それだけでちょっと酔ってしまう。

ブロンドの毛が肩まで伸びた笑顔の素敵なジェームスは、そんなオペラ劇場の中を色々案内してくれたのだが、それは、想像を絶する大規模なものであった。舞台が1としてみるとそのセットアップをするための空間は10以上はあったろうか、まるで一つの巨大な工場である。オペラによっては舞台のセットをいくつも使うものもあるようで、それらを瞬時に変えられるように次のセットをスタンバイさせておく場所や、その次のオペラのための舞台を準備する場所など計り知れない空間が横に、そして地下数階までとあった。まるでそこは造船所のようであった。スポットライトもビデオプロジェクターも今まで見たことのない巨大なものであった。

無数にある出演者の楽屋、いくつもあるオーケストラの広々とした練習室、楽譜の図書館、プロップなどを製作する木工室、衣装制作室などあり、まるで巨大な会社であった。そこで働く人すべて、労働組合員で生活は保障されている。みんな長くそこで勤めているからみんなジェームスのことを知っていて和気藹々としていた。そして気さくに色々と説明してくれ、まるで子供の頃行った工場見学のことを思い出した。

今回の『ヴォツェック』のアート・ディレクションはウィリアム・ケントリッジという南アフリカ出身の現代芸術家、独特なタッチのドローイングのアニメーションで知られている。舞台のセットは立体的だけどねじ曲がった空間のようになっており一見グチャグチャに見えた。だけどオペラが始まってわかったのは、シーンによってスポットが当たる位置が変わりそこがひとつひとつの設定場所になるという作りになっていた。そしてビデオの映像の投影方法も工夫してありその空間を芸術的に演出していた。

『ヴォツェック』の内容は重い。19世紀初頭に実際に起こった事件を元に書かれた戯曲が原作で、貧しさに苦しむ元兵士であったヴォツェックが、他の男と関係を持ってしまった内縁の妻マリーを刺し殺してしまうというドロドロな内容に加えて音楽が当時の前衛であった無調音楽という従来のハーモニーの構造とは全く異なる作曲法を作られている。その暗号的に並べられた音列のモチーフを元に構築された音楽は狂気や焦燥感の表現にはとても効果的でその陰鬱さを最大限にひきたてていた。

ドイツ語のオペラであったので、英語訳を読みながら観劇していた。ロックバンドのコンサートとは違い、マイク、アンプ、スピーカーを一切使わない古典的な音響スタイルなので、音を聞き取るために耳をすまし、遠くのステージを見るのに目を凝らした。オペラ歌手の歌声はマイクなしであれだけの劇場に響き渡るのはすごいと思った。高度で内容が特濃な芸術に触れることが出来た余韻はしばらく冷めず、その後はとりあえずワインを飲むことにしたのであった。ジェームスに感謝!

もくのあきおはニューヨークを中心に活動する電子音響音楽家。

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