ニューヨーク特派員報告
第219回

東西セクハラ考


客観的に日本のオヤジを見ていて、男尊女卑、セクハラがアメリカに比べ横行しているように見える。時代も関係あるのであろうが、日本の女性はそのあたり大変そうに見える。スカートめくりとか中学くらいの時に流行っていたが、教師がそれをして挙句の果てに女学生に抱きついていた。そんなのを横目に見ながら違和感を感じてはいたもののセクハラ、パワハラなどという言葉に出会うまではそれがどういうことなのかよくわからなかった。

先日、会社でセクハラのトレーニングを受けた。別に自分が何かしたわけではないが、勤めている人は皆、受けねばならない。僕が勤めているのは大学なのだが、例えば教授と生徒の交際は認められていない。教授が生徒を飲みに誘うのも問題行動になる。一緒に働いている異性の容姿などに過剰なコメントをする、しつこくデートに誘うなどもNGである。健全な職場環境のことを思えばこれらは当然のことであろう。

先日、長年、山口さん(当時のTBS支局長)からレイプ被害にあったと告発していた伊藤詩織さんが民事裁判で勝訴した。一度は加害者に逮捕状が出ていたのに、事前になって取り下げとなり(なんらかの力が働いたのか)、長いあいだ不起訴となっていた。その加害者は官邸とつながりもあるようで何がしか不思議な力が働いているようにも感じる。そもそも上司になるはずの人間が、泥酔した女性をホテルに連れ込んだ地点でアウトだと見るのは当然であろう。英国BBC放送はこの件に早くから目をつけていて伊藤さんのドキュメンタリーなどを作っていてそれを見たことがある。告発してからの生活が大変で、何者かによって家に盗聴器がしかけられていたり、誰かがいつも外から監視していたりして異常であった。

有罪判決が出るまでは山口さんを擁護していた人々は、口を揃えて伊藤さんが仕掛けた罠に彼は引っかかっただけで、悪いのは彼女だと主張していた。そうやって性被害にあった女性の告発を嘘だという人々はやはり慰安婦問題についても同じような主張をする人々(現職の自民党の議員もいる)である。このように被害者が名乗り出るという勇気のいる行為を嘲るようなことをセカンドレイプというらしい。そういった人々の考え方と日本において女性の人権感覚の鈍さは深く関わりがあると感じる。

アメリカに住んで思うのは、男性は女性に対して優しくするし、夫は妻を大切にする人が多い。全てがそうだとは言わないが平均するとそう見える。だからなのかアメリカの女性は強い印象があるし、はっきり意見するし、社会においても男性と対等であろうとしている。少なくとも、日本より女性の社会進出は盛んである。女性が社会への進出が成功すれば、家庭内のパワーバランスも変わってくる。妻も夫と同じように収入を得ることができれば、無理して家事だけやらなくても協力して生きていける。

とはいえ、アメリカでもセクハラ問題はあるわけで、一昨年、盛んだった#MeToo運動(ハリウッド女優の告発に端を発した)などで女性達の被害の告発が相次ぎ、大変なことになっていた。レディー・ファーストのこの国でもこれだけあるのだから、日本で報告されてない被害はさらにすごいであろうことは想像できる。

またセクハラを告発したものが逆に他のセクハラで告発し返されるということもままあるようだ。お互いの関係性によってはどこからがセクハラに当たるのか線引きが難しいこともあるだろう。場合によっては三十年以上前の話がでてくることもあり、この辺りになると僕自身も、もしかするとそういう告発がありえないと言い切れるほどクリーンな過去があるわけでもない。

ともあれ、ハラスメントは力関係が有利な人間が不利な人間に対して行われることであり、いかなる場合でも弱い側の人間が擁護されるべきで、権力のある人間はそれを意識し常に気をつけるべきであろう。かつて女生徒のスカートをめくっていた中学の加藤先生はそのあたり今はどのように思っているのか知りたい。

もくのあきおは、ニューヨークを中心に活動する電子音響音楽家。

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