観瞑想 |
久しぶりにマサチューセッツ州の山にあるヴィパッサナー瞑想3日コースに行ってきた。最後にそこに行ったのはもう5年も前になることに後で調べて驚いた。個人的には瞑想はずっと続けているわけだけど、施設がかなりアップグレードされていたので、その時間経過を感じずにはいられなかった。 僕が最初にヴィパッサナー瞑想を始めたのは2010年で、特派員報告108回『六根清浄』にその時のことは詳しく記されている。9日間、外界から自分を切り離し、誰とも口を聞かずひたすら瞑想し続けると、いろんなことに気づかされるとともに、自分の意識のとても深い所にアクセスすることができる。これはブッダが悟りを開いたときに用いたものと同じスタイルの瞑想だそうで、なるほど、これを続ければ、いずれ悟りに達するであろうことは想像できる。 最初にその瞑想センターに行ってから毎年夏になると、ショートコースをとったり、ボランティアをしたりしながら2014年まで通っていたけど、実家の父のことなどもありしばらくセンターまで行く時間が作れなかった。それでも街中である1日コースに参加したり、2年前は自分自身で家にこもったりして3日間瞑想した。この3日間の自宅瞑想については、189回『実験ウィークエンド』に詳しく記されているが、山の中で行うよりかなり辛い結果となった。まあ、とにかく今となってはそれくらい瞑想することは僕の生活の一部であることには違いない。 瞑想センターは、マンハッタンから車で3時間ちょっとくらいかかる場所にあるので、相乗りなどで行くことも多いわけだが、毎回そこに行く人や出会う人のユニークさに驚く。アーティスト系も結構いる。一度、ユダヤ人の運転する車に、パレスチナ人と乗ったこともある。中東のいざこざについてお互いの民族意識は対立していても、個人としてのリスペクトがあり、やはり同じ瞑想をする仲間同士の信頼感みたいなものを感じた。そして今回の旅の友も興味深かった。その娘はサバというイラン人の女の子であった。 イランといえば、1979年の革命以来イスラム教国家で、最近のニュースではアメリカの偵察機を撃ち落としたとして今にも戦争がおっぱじまりそうな緊張感を報道されていて色々気になる。しかし、サバによればイスラム教がどうのこうのというのは、上流社会の人々のことで一般市民たちはその宗教にそれほど興味もないようだ。しかも彼女はヴィパサナーをテヘランで経験し、そこに至る過程においてアシッドの影響があったなど、想像よりも自由な空気を感じる。サバは日本の状況にも興味があるみたいで、それを英語で説明するのに、言葉が足りず結構大変であった。そしてテクノが大好きみたいで、かなりトランスなやつを流しながら緑の中を駆け抜けていたのであった。 5年ぶりの山の中での瞑想は、感動的ですらあった。全ての情報から隔離され、新緑の木々に囲まれた美味しい空気の中、冷んやりした道場でひたすら瞑想することにここまでの解放感と癒しを感じることができるなんて幸せなことである。1万2千年ほど前にそれまで狩猟を中心としていた人類は、農耕を覚え社会を形成し始め、それに伴う新たな苦悩も始まった。その苦悩の根本がどこであるかを知るために瞑想が有効であるという発見は素晴らしく、それが日本の仏教の根本にもある。目をつぶり呼吸を落ち着けてじっとしているだけで、我々は心を鎮めることができるのだ。 自分とはなんであるかという事がわければ、たくさんの問題が解決するであろう。しかし、それはググれば見つかるものでは無さそうだ。そういったことの答えは内側に潜んでおり、もっと感覚的なものなのだ。瞑想は、脳内をオーガナイズし、活性化させ、そういった根本的な問題にヒントをくれることだと改めて感じるのであった。Be Happy! もくのあきおは、電子音響音楽を中心に活動する作曲家。ノイズバンドでベースを演奏したりもする。 |
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