ニューヨーク特派員報告
第197回

らあめんカルチャー


炭水化物はあまり体に良くないという説が出てきて日常的に口にすることを避け始めて数年が経つ。しかし、避ければ避けるほど、たまに口にした米、パンや麺類の与えてくれる快楽の計り知れなさに驚く。特に、種類の豊富なラーメンは、一冊の本が書けるほどの人生の所々で感動を与えてくれたソウルフードであり、それを完食した時の至福はなにものにも変えがたい。

しかし、その魅惑のラーメン屋は、20年くらい前のニューヨークにほとんどなかった。ここ10年で驚くように浸透してきたのだ。そして最近、マンハッタンは最北端のワシントンハイツ、日本人はほとんど住んでいないエリアにまで、たんぽぽラーメンというのができた。よって早速、仕事帰りに足を運んでしまった。そういう風に、気軽に味を確かめにいけるのが、ラーメン屋の良いところである。

そもそも90年代にあったラーメン屋はSapporoというところくらいで、客は日本人が中心。出てくるラーメンもスーパーで売っている生麺のようなものであった。ビレッジに昔からある来々軒もそんな感じだった。麺を啜る習慣のない文化で、ラーメンはご法度とまで言われていた。ところが、最近は、せたが屋、一風堂や一蘭など日本でも有名なラーメン店を始め、豚骨、醤油、味噌、塩からフュージョン至るまでの様々なスープ、麺の種類も細麺から玉子麺など種類も豊富にある。いろんな個性的なラーメン屋がまるで竹の子のように次から次へとでき続けている。

しかし、問題はその値段の高さである。10ドル(約1000円)以下のラーメンは見たことがない。日本で千円以上するラーメンなんて食べたことがないので米国でラーメンを食べることはちょっとした贅沢ということになる。値段はだいたい12-15ドル、高いところは18ドルくらいする。つまり1200円から2000円もするのだ。主な栄養素が炭水化物であると考えると、ハンバーガーやフライドチキンなどの方がよほど安価で健康的な食べ物であるとも言える。しかし、スープを最後まで飲み干した後の、あの充実感は、ラーメン以外に得ることのできない快感で、その抗い難い誘惑につい足を運んでしまう。

かつてのラーメン屋は、どこかに日本人がいたものだが、今は違う。日本でラーメンに魅了されたアメリカ人が始めるケースもあり、日本人が全く関係していない店が多い。だからたまに、塩と醤油を聞き違えたり、醤油ラーメンといって白いスープが出てきたりすることもあるのだが、味のレベルはなかなかなものだ。おそらく、もはや日本とあまり変わらないレベルだと言っても過言ではなかろう。シナチクやチャーシューもそれぞれかなりこだわりがあるし、スープもかつてのようにインスタントを使っているところなどない。ラーメン文化はもはや普通にニューヨークに定着しているのだ。

パスタ(麺)を啜ることは白人文化ではありえないから、麺を啜って食べるラーメンは流行らないであろうと言われ続けていた。何がラーメンブームに火をつけたのかは調査していないが、麺は丼から啜らなくても食べられることを昨日、たんぽぽラーメンの客の食べ方をみて再確認した(笑)。れんげにのせてから啜るのだ。丼からズルズルだと思い込んでいたのは、僕の潜在意識の中に横たわっているオバQに登場する小池さんのイメージの所為なのかも知れない。英語でラーメンの(正しい)食べ方を説明しているページはいくらでも見つかる。

ラーメンのルーツとなるものは、中国、タイ、ベトナム、韓国などにもある。しかし鹹水で弾力のあるちぢれ麺や、めんま、味付き玉子、チャーシュー、ネギなどの添えられた日本のラーメンは、全国各地の味覚にあった趣向を凝らし進化を遂げ、そしてそれはニューヨークでさらに改良・進化を続けている。もしかする現代で最も発展しているヌードル・スープのカタチなのかも知れない。ramenはもはやkaraokeと同じく英単語の一つとして定着した。その魔力は今後も僕のダイエットを邪魔しつづけることだろう。

もくのあきおは音楽家。電子音響音楽の作曲を中心に、ノイズバンドやメディア・パフォーマンスなどでも活動している。

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