ニューヨーク特派員報告
第194回

祝40周年!


Electric Lady Landが40周年に突入した。40年もずっと毎晩、名古屋は大須で、いくつものバンドのライブ行われつづけているのだ。すごいことだ。考えてみれば、初めてELLに行ったのは、中学生の時。友人のお兄さんの友達のThe Moralと言うバンドのライブに誘われた時だった。お化粧をした危険なお兄さん達の姿に圧倒されたものだ。それから数年後に、自分のバンド、ROOTSを出演させてもらっていたわけだけど、そんなことを思い起こすと、なんか一緒に歳をとり続けていることにただならぬ親近感を感ずる。

僕が10代だった80年代は、ライブハウスなんて、名古屋には数える程しかなかった。高校の授業に落ちこぼれ、人生に不安を感じていた時、いろんなバンドのライブを見ては、勇気づけられていたものだ。ロックでもフォークでも、その根底には、常識になんてとらわれず自由に生きることの素晴らしさを感じさせる力強いメッセージが横たわっているものが多かったからだ。

高校を中退しバンド一色の人生になった僕は、ロック兄ちゃん的ライフスタイルに染まり、今池のハックフィンを中心に活動していた。そんな中、当時シゲさんが主催していたテレビ番組に出させてもらって(余談だが、先日、ネルス・クラインにそのビデオを褒められた)、中部地区でもちょっと有名になって、しばらくしてからELLを拠点に活動するようになった。当時、敷居の高いライブハウスだったので、夢に一歩近づいた気がしたものだ。ROOTSは1993年まで毎月のようにライブをやらせてもらっていた。バンドの方向性についてのアドバイスなんかもしてもらった。それから、色々行き詰まった僕は名古屋を離れ、ニューヨーク移住への道を歩み始めた。

それからも、ELL との関係はずっと続いており、東京から凱旋ソロライブをやらせてもらったり、ニューヨークに移住してからインターネットがまだなかった時は文通もしたりしていた。その間も何度か、大須通信に僕の文章を載せてもらっている。そして2001年から、この「特派員報告」の連載が始まった。僕に文章を書く楽しさを教えてくれたのは間違いなく、やよいさんであろうと感謝している。今や僕のここ16年の足跡は、大須通信のバックナンバーにしっかりと残っているのである。

10年前(!?)の30周年の時は、昔やっていた企画を復活させて、再結成ライブをやらせてもらった。それから4年後の2011年にも昔のバンド仲間とライブをやった。昔来てくれたギャル達やバンド仲間が思った以上に来てくれて本当に嬉しかった。客席から「おかえり!」って声が聞こえた時、フラッシュバックした。そうやって戻ってこられる空間があることに感動した。おなじ場所がそこにあるからこそ、また集まって再会できるのだ。

バンドってそんなに長続きするのでもなく、音楽を続けている人も歳をとるごとに減っていく。でも、ELLのスケジュールを見て最近思うのは、昔、活躍していてしばらく音沙汰のなかったバンドもまた戻ってきてライブをやっている。そういう昔から付き合いの続いているバンドマン達が沢山いることに驚く。やはりバンドとしても客としても、また同じ場所でライブができることは感慨深いものがあるからなのだろう。

毎年、お正月には挨拶にいかせてもらっている。飲み物やお菓子をもらって、シゲさんとやよいさんをはじめ、いろんな客人達と雑談するのがいつも楽しい。考えてみれば、そんなライブハウスが他にあるであろうか?そういったライブだけで終わらない人間関係があるからこそ、愛されて長続きしているのであろう。消費の激しいニューヨークではあり得ない話である。

この連載を始めた2001年に大学に通い始め、16年たった今年の春までずっと続けた。作曲の勉強をして音楽で修士号をとることができた。僕も自分の音楽を追求することはまだまだ意欲的に続けていく。そしてこれからもELLが続く限り、この特派員報告を続けていきたい。

もくのあきおは、コロンビア大学でイベント関係の仕事をしながら電子音響音楽の作曲やノイズバンドなどで活動している。

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