ニューヨーク特派員報告
第193回

「生きてるっていってみろ」


いきなり、今池時代の飲み仲間から電話がかかって来た。THE FOOLSの伊藤耕の獄中死のニュースから、人は突然この世から居なくなって、再び酒を交わすことはできなくなるのだと、切なくなり(なぜか)僕のことを思い出したらしい。同じ時代を生きた人間、とりわけ影響を受けた人間が死んでしまうのは寂しいことだ。耕さんとは、一度、会話したことがある。とてもオープンで気さくな兄貴であったし、何よりかっこよかった。実に残念だ。

先日、友川カズキがニューヨーク初公演ということで、見に行った。僕のそもそもの彼に対するイメージは、東北訛りで暗い現実を吐き出すように歌う感じで、その内容が突き刺さりすぎて一度、途中で聴けなくなったことがある。痛すぎたのだ。だけど、生でそれを感じて見たいと強烈に思った。80年代という浮かれた時代に10代を過ごした我々は、当時はフォークという音楽に何がしかネガティブな固定観念があった。

ブランク・フォームスという実験性の高い音楽を特殊なライブ形態で紹介するイベントで、去年レポートした(特派員報告182回)、ゲダリア・タザルテスの教会でのライブも彼らの企画によるものだ。中心人物は、デビット・グラッブスで、恩田晃も関わっている。実際、当日は、友川の曲名紹介や小話の通訳を恩田が行なっていた。今回のライブ会場は、なんとチェルシー(今やマンハッタンで一番こぎれいでおしゃれなエリア)にある、かなり広めのギャラリーであった。

その日は、あちこちでオープニング・セレモニーが行われていたようでおしゃれなアート系の人でその街はあふれていた。驚いたことに、会場はそのような観客でびっしりと埋まっていたのだ!入った時には、知り合いはシャーメイン・リー(奇声パフォーマー)しかいなかったので、彼女に、東北訛り(そもそも日本語がわからないのに、東北訛りになんの意味があろう)で痛い現実を叩きつける友川にこの手の観客というギャップからくる興奮を伝えていた。僕は、自身のその虚しい固定観念からまだ抜け出せずにいたのだ。友川がチェルシーでアート系の観客に囲まれているという構図が意外でたまらなかった。

僕自身、友川のライブは初であったが、彼はよく喋るらしい。最初、小話を始め、恩田に通訳をさせていたが、話がはずむには時間がかかりすぎたのか、短いものであった。最初は思ったほど、強烈な叫びはなかった。ギャラリーでのライブに合わせてか、芸術家は孤独であるという趣旨の歌があった(後で知ったことだが、彼自身も絵を描くらしい)。僕にとって日本語は意味を持って飛び込んでくる。でも、その場にいた9割のアメリカ人にそれはどう響いたのだろう。ふと、友川の叫びが音に変わった。東北訛りのハスキーな叫びが、ブリジット・フォンテーヌのビブラートとかぶり、かき鳴らされるアコギは津軽三味線を彷彿させた。考えてみれば、ゲダリアだって、ずっとフランス語で歌っていたのに楽しめた。言葉が理解できなければその歌は純粋な音楽として認識されるのだ。ライブは大成功。喝采は鳴り止まなかった。

そういえば、去年はあがた森魚のライブも盛況であった。僕のような固定観念がないアメリカ人は、彼らの独自の表現を追求してきた歌をもっと純粋に音楽として感じ取っているのであろう。それは、僕がイタリア語や韓国語で表現される歌から感じるニュアンスに似ているはずだ。言葉による連想が邪魔しないぶん、音としての認知に没頭できる。

遠藤賢司も、この世を去ってしまった。あがた森魚も友川カズキも決して、いつまでも生きてそのハイテンションをキープできるわけではないだろう(失礼!)。人間だから自然の流れには逆らうことはできない。それはもちろん僕も例外ではないし、今これを読んでいるあなたもそうだ。人生はやはり儚い。「生きてるっていってみろ!!」友川の叫びはさらに現実味を帯びて突き刺さってきたのであった。

もくのあきおは、電子音響や実験音楽の作曲やコラボなどをしながら、ノイズバンドでも活動している。

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