ニューヨーク特派員報告
第192回

祭りとバイオフィリア


先月はいきなりのドラマテッィクな事故のあまり、書こうと予定していたことが、すっ飛んでしまった。予定していたその内容は8月の半ばに、ウッドストックのお友達が主催したお祭りについてだった。ちょっと時間が過ぎてしまったけど、とっても楽しい思い出なので、やっぱりそれについて書いてみたい。

ニウッドストック近郊の山に、大きな敷地と共にある築100年以上経つ中古物件に住むアーティスト夫婦(二人とも絵を描く)は、結婚してすぐにそこへ引っ越し2人の子供と共に暮らしている。引っ越してから8月になるとその敷地で、お祭りを開いているらしく、今年は僕も手伝いを頼まれた。焼き鳥、かき氷、たこ焼きやバーなどプチ屋台を作り、全てが1ドルという破格値で奉仕していた。僕は手伝うと約束していたにもかかわらず、急に仕事が入ってしまい。夕方からの参加になってしまい屋台はあまり手伝うことはできなかったのだが。

近所のアメリカ人や、日本人、シティから来ているお友達たちもいた。チボ・マットのユカさんや、Deerhoofのサトミさんも参加していて色々お話もできた。メインイベントは、ボンファイヤー(巨大な焚き火)で、最高時には5メーター以上になる火柱を眺めていたら、野生の感性が目覚めるような気分になった。それから、メンコしたり、「だるまさんが転んだ」したりとご機嫌になった我々は、童心に帰って祭りの夜を満喫したのであった。

そのまま、そこの敷地にテントを張ってエンジニアのヤスさんと一泊した。7月初頭に泊まった時ほど寒くなくぐっすりと眠られた。敷地が広いと、こういう泊まり方ができるのが便利である。朝は、けたたましい鶏の鳴き声とゆるい太陽光で目が覚めた。周りからみんなの声が聞こえ始めるまでゴロゴロし、しばらくしてからテントから出た。

その日は、みんなで湖に泳ぎに行くことになった。そこから車で30分くらいのとこなのだが、途中、お弁当にサンドイッチを買って、その山に囲まれた静かな湖に向かった。すかさず水着に着替え、日焼け止めクリームを塗ってから泳いだ。湖の水は、冷たすぎず穏やかなのでスイスイと泳ぎやすい。背泳ぎをすると吸い込まれそうな夏の青空が広がり、その周りはぐるりと山に囲まれている。きっとかつてはインディアンたちもこの風景を眺めながら泳いでいたのかもしれない。岸をみるとみんなサンドイッチを食べている姿がピクニックな感じの幸せな構図であった。水から上がった後は、4人でフリスビーをした。上半身裸という開放的な格好で、ちょっと沼っぽい地面を走りながら円盤を追っている時も果てしない平和さを感じ幸せであった。

その日は、みんなで湖に泳ぎに行くことになった。そこから車で30分くらいのとこなのだが、途中、お弁当にサンドイッチを買って、その山に囲まれた静かな湖に向かった。すかさず水着に着替え、日焼け止めクリームを塗ってから泳いだ。湖の水は、冷たすぎず穏やかなのでスイスイと泳ぎやすい。背泳ぎをすると吸い込まれそうな夏の青空が広がり、その周りはぐるりと山に囲まれている。きっとかつてはインディアンたちもこの風景を眺めながら泳いでいたのかもしれない。岸をみるとみんなサンドイッチを食べている姿がピクニックな感じの幸せな構図であった。水から上がった後は、4人でフリスビーをした。上半身裸という開放的な格好で、ちょっと沼っぽい地面を走りながら円盤を追っている時も果てしない平和さを感じ幸せであった。

大自然に囲まれて、その壮大な景色を前にし、おいしい空気を吸っていると不思議と心が浄化されて素直な気持ちになれる。こういった現象を社会心理学者のエーリッヒ・フロムは概念化して、バイオフィリアと名付けた。きっとこれは遺伝子に組み込まれている人間の本能ではないかと思う。地球の歴史で何万年という人類の進化の過程において大自然の中でサバイブしていた時期は文明の中を生きている時期より比べ物にならないくらい長かったことを考えると納得もいく。その中、生きながらえて残っている人類が現在の我々なわけなのだ。全てが人工的な都会で知らず識らずのうちに忘れ去られているその本能を自分の中に垣間見ることは、実はとても大切なことなんじゃないかと思う夏の一幕であった。

もくのあきおは、コロンビア大学でイベント関係の仕事をしながら、電子音響音楽の作曲やノイズバンドなどで活動している。

http://www.akiomokuno.com

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