ニューヨーク特派員報告
第191回

「生きててよかった」(その2)


昨夜、死を覚悟するような出来事があった。今からすると悪い夢でも見ていたような、今ここでこうして日常を過ごせていることが信じられないくらいヤバかった。内容を要約すると、山の頂上で道に迷い、相方が強烈なめまいから顔面蒼白で動けなくなり、それが日没ギリギリで、しかも雷が轟いていた。

ニューヨーク州ベーコン地区にあるその山は、ロック・クライミングもどきもできる、難易度では最高点の山であった。でも最近山登りづいている僕には、あっけなく山頂にたどり着き、チョロイものだと思っていた。雷はずっと轟いていたが真上に来ることはなかった。気になったのは、人に会うことはほとんどなかったことだ。

行きの道とは違う方法で戻る予定で歩いていた。電波が入らなくても位置が確認できる山道用のマップを見ながら、道無き道を突き進んでいた。嵐が近づいている雰囲気であったが、雨は降ったり止んだりで、すぐ下山できるから大丈夫だとその時は思っていた。午後3時から登り始めて2時間後に相方の容体が急変し始めた。そういえばここのところあまり眠れていないと言っていた。相方は歩けなくなり、嘔吐を繰り返した。でもそこはかなりの奥地で、電話も繋がらない。とにかく近道で下山しようかと肩を抱きながら急斜面を必死で進んだ。しかし、歩けど歩けど、山道アプリの示す方向がグルグル変化し、どこにいるのか解らなくなった。気がつくとまた山頂にいて、胃液を吐いている相方は力尽きて倒れた。唇も紫になりブルブル震えていた。雷は近づいてきて、雨も次第に強くなってきた。午後6時過ぎで、日没まで1時間しかない。そこでは、かすかに電話の信号があったので、911(日本の119番)に助けを求める決心をした。

911や救急隊員は15分おきくらいに電話してくれた。なかなか位置がつかめないようであった。僕が電話で911に電話すると位置情報が送られ、それで山のあちこちから救急隊員達が僕らを探し求めて、歩き回っていたようだ。2時間待っても誰も来る気配はなかった。携帯の電池の容量も減っていく。服は雨でびしょびしょに濡れ、稲妻が光っていた。相方はずっと震えて気を失いそうになっていた。「死ぬな」と言ったら、「生きていてもいいことない」と言った。でも、そんなことを言うということは少し余裕が出てきたのかなと思った。

運のいいことに強烈な雨は長くはなかった。しばらくすると満月が雲の向こうで滲んでいた。カエルの鳴き声みたいなのがあちこちから聞こえ、コヨーテの雄叫びも聞こえた。そして、助けを呼んでから3時間後、やっと動くライトが見え叫び声も聞こえた。「助かった!」と確信した。相方の体調も回復して、水をもらいヘッド・ランプをつけて2人で相方を支えながら、動き始めた。相変わらず急激な岩の斜面が続いたが、プロと一緒なら安心だ。アイリッシュの彼は、陽気で相方の体調をずっと気遣ってくれた。レスキューのみんなと連携して、近くの下山口までのルートのポイントにひとりづつ待機していて、最終的には5人で山道を走れる車まで一緒に降った。そこからさらに15分くらい険しい道を車で進んだところに救急車やらパトカーやら数台止まっていて物々しい雰囲気になっていた。見事な連携プレイだった。軽率な行動をとった我々のために沢山の人々が救助のために動いてくれた。本当に申し訳ない気がした。

体調の芳しくない人と険しい山を登った僕の判断は間違っていたけど、山頂で助けを求めたことは正しい判断であったと思う。もし、あのまま無理して突き進んでいたら、滑落していた可能性は十分ある。山の中に戻ると電話は通じない。僕は死なないけど、相方が死んでいた可能性は十分ある。山をあまく見ていた自分を深く反省し、また救助にきてくれて最後まで優しかったコールド・スプリングとベーコンの救助に関わってくれた人々にいくら感謝しても足りないくらいの思いだ。とにかく、相方が「生きていてよかった」と強烈に思う満月の夜であった。

*ちなみに(その1)は2014年のカローラの事故。第154回に掲載。

もくのあきおは電子音響音楽などの作曲をしながら、ノイズバンドなどでも活動している。

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