ニューヨーク特派員報告
第190回

この夏のモノローグ


生まれてから49回目の夏(笑)。この季節は、誕生日があり、比較的、開放的で活動的だ。ざっと、7月のスケヂュールを眺めながら、何があったかを回想している。実は、7月後半は名古屋にいた。台湾経由の飛行機で行き、親父の一周忌があって、母と北海道旅行もした。それらの出来事をドラマティックに描くこともできるであろうが、あえてプロットを設定せず、オートマティックに思考してみることにする。

ここ数ヶ月、いかに自分のマインドをコントロールするかということについて本を読んだりして研究していた。感情に振り回されず、いかに効果的で生産的な時間を過ごすかなどを考えると、実は、「今」に生きることの重要さを感じる。自分の経験した過去は思い出すときに、(脳の構造上)自分が思うよりかなり(感情が絡まることにより)偏ってしまい、よって、不確かになりがちなようだ。だから、そういったものにとらわれて臆病になったり、迷ったりすることは無意味という観点から、常に意識を「今」、今という一瞬に集中することで理想的な未来へつながって行く。とか、自分の周りで起こる出来事を変えることはできないけど、それらをどう捉えるかという事は変えられるという考え方などは一理あると学ぶ。

具体的に行動を起こしていない場合、こういう漠然とした方法論から自分を奮い立たせることが多い。本題に入る前に環境づくりだけで疲れてしまうパターンと否定的に見ればそれまでだが、だらだらと無思考で本能に任せているよりは生産的だと思う。自己啓発にアディクトしているだけといえば、そうかもしれないが、いずれまた何かに没頭した時に、それらのアイデアは生きてくるものだと信じている。

この春で、作曲の修士過程も無事修了した。2つ目の修士である。2001年にGED(アメリカの大学検定)で学校に戻って勉強し始めてから、16年目にして、一つの節目である。この秋は、17年ぶりになんのクラスの予定もない。創作欲も学習欲もあるが、とりあえずこのままアカデミア路線で行くかどうか、ちょっとブレイクをおいて考える時期に来たようだ。だからこの夏は、いつもよりゆっくりと過ごしているのかもしれない。いつもこの時期は、忙しかった前の学期のリカバーと次の学期への準備期間として使っているが、今回は、秋に備える必要はない。

授業を受けている間、いつも思っていた事は、時間が足りないという事だ。もっと時間があったら、それらにまつわる本を熟読し、熟考できるのにとか、もっと内容の濃い文章や高度な楽曲が書けるのになどと思っていた。しかし、最近、気がついた。例え時間があっても、没入できる深さや濃さや質の高さは、自分が思っている程のことができるわけではないということを。その現実を知った事は、ショックであったが、前進でもある。だからこそ、計画的に、黙々と実行し続ける以外に成長の道はないことを学んだわけであるから。

独りでいる時間が長いと、つい妄想が爆走し、現実とのギャップから訳もなく感情に流されてしまったりする(実はちょっとショックなことがあった)。心が混乱しそうになると、でも、ポジティブな方向へと進もうと思う。思い通りにならない外的な事実を悲観するより、世界の見方を広げる豊かな視点を自分の中に持つことを優先させよう。気分転換に、自分が今まで何をして来たかをまとめるのもいいと思い、自分のウエブサイトをアップデートした。ここ2年の楽曲の楽譜とプログラムノートをポートフォリオに追加した。100点満点ではないにしろ、少しでもコンテンツが増えたことに密かな喜びを感じた。

まあ、とりあえず自由な時間をもつことはいいことだ。たくさん映画や本などのまとまった時間をコミットする娯楽に浸ってみるとしよう。あと、もっとモノを捨てて生活空間をシンプルにするのもいい。あらゆる執着から自由になりたい。筋トレもしよう。たまには頭を空っぽにして、何かが浮かび上がってくることを期待する期間があってもいいのだと、今は思う。そう、これでいいのだー。

もくのあきおは、コロンビア大学でイベント関係の音響で収入を得ながら、電子音響音楽の作曲やノイズバンドなどで活動している。

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