ニューヨーク特派員報告
第170回

電子工作エクスタシー


電子楽器工作のクラスをとっている。中学生の頃だったか半田ごてをつかって電子回路を作ったことがあるが、うまくいかず自分は不器用だという記憶からあまり近づかなかった世界。90年代以降の急激なテクノロジーの発達により進んだデジタル化で、いまやあらゆることがコンピュータの中でできるようになり、アナログ回路が脇においやられアメリカ大手のパーツ屋であったラジオシャックも倒産したというのに。

考えてみれば、子供の頃、電子工作ほど、胸のときめく授業はなかったような気がする。豆電球が光ることや、モーターが回転することなど客観視すればなんでもないことなのに、自分の手で電池に接続した結果なら、「できた!」と感動するのはなぜだろう。この一見、ナルシスティックとも思われる反応は、自分特有のものであるかと思ったが、そうでもなさそうだと思った瞬間があった。クラス・メイトのルークが、簡易シンセサイザーの回路を完成させ、光学レジスターの具合でピロピロと音が出た時に、瞳を潤ませながら「Akio! Look!」とピロピロピロ〜と恍惚の表情でそれをコントロールしていたのを見た時だ。

電流とは、電子(エレクトロン)の流れである。そんなこと日常で意識しないことなのだけど、「素粒子はひもの振動である」という説と同じレベルですごいと改めて感じている。なぜなら人間の神経伝達回路のシナプスのスパークは、電子のながれと関係しているらしいからである。神経回路の伝達があるから我々は感じることができるわけである。豆電球の光も、モーターの振動も神経回路をつたって脳に伝達されているわけで、電流は我々の感覚においても重要な役割をはたしているのだ。

オーディオというのは、力学的エネルギーを電気エネルギーに変換し(マイクの中の振動を通じて)それをまた力学的エネルギーに(スピーカーの中の振動を通じて)する電気的現象で、それを使って我々はコミュニケーションしたり音楽を聴いたりする。「だからなんなの?」と言われるかもしれないが、スマホでチャットするような、ごくフツーなことを支える文明の利器の原理が垣間見えた時、ちょっと嬉しくなることだってある。

シンセサイザーのパーツは、バラ買いするとその原価は安い。また、いちどそれらの機能を把握すると、思ったほど難解なものではないことを知った。だいたいがマイクロチップ、コンデンサー、レジスター、トランジスター、ダイオードの組み合わせである。単価としては10円以下のものも多い。マイクロチップだけは、機能によるが100円くらいだ。しかし、それらの組み合わせで、シンセサイザー、ファズ、ディストーション、フィルターやアンプが自作できるである。無料データが豊富なこの時代、作り方などはyoutubeなどでも簡単にみつけることができる。

Arduinoというプログラムできるマイクロコントローラーというものも素晴らしい。回路をUSB経由でコンピュータに接続し、用途に応じたプログラムをそのCPUに書き込み独立したディバイス(メインコンピュータに接続せずに)をつくりあげることができる。その都度、プログラムは書き換えることができるので、アナログ回路に比べて融通がききまた複雑なアクションも可能である。使用できる言語はオープン・ソース(無料)ですでに多くのパターンがオンラインで公開されているため、ハック(コピペ)するだけでかなりのことが実現可能となる。これも、安いものだと1500円くらいからある。

電子パーツのことがわかってきて、ラジカセや音の出るおもちゃを分解して、回路をみるだけで、エクスタシーを感じるようになってしまった。そんな僕は、ただいま夢のノイズマシーンの製作にとりかかろうとしている。

もくのあきおは、ブルックリン大学の修士課程にてモートン・サボトニックのもと作曲の勉強をしている。またノイズバンドなどでも不定期に活動している。

http://www.akiomokuno.com

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