ニューヨーク特派員報告
第169回

A day in September


実は、僕のエッセイは、アート、音楽、社会と人生(日常)の4つのカテゴリーに分類することができると気づいた。先月のトピックは社会であったので、今回は日常(人生)について書いてみよう。9月を振り返って一番印象にのこっている1日の出来事だ。それはスーパームーンが満ち始めた13日の日曜日。普段は仕事をしているのだが、この日は休みをとっていた。

朝は9時頃起き、まずは、ミッドタウンに瞑想に行った。5年前から毎年夏になると、マサチューセッツ州の山にある瞑想道場へ自分と向き合いに行っていたのであるが、ここ2年、足を運ぶ機会を逃している。なので、マンハッタンで年に2回だけ行われている1日コースに参加することにしたのだ。1日といっても実際、瞑想するのは昼の12時から夕方6時までである。山の中とは違い、日常である生活圏の中で突然、長時間座り続けられるのかとも思った。が、集団の沈黙の力もあるのかもしれないが、難なくこなせた。すべての動きを静め、「無常」を見つめ、自分という人間が、知覚の中でいかに構築されているのか考えたりすると時間の感覚も変わる。神経が敏感になるからか、長時間瞑想の後は、都会の喧騒は身体に突き刺さってくるように感じた。

そして、セロトニンが大量放出された(たぶん)脳味噌、軽いトリップに近い状態で僕は、地下鉄に乗りチャイナタウンへ向かった。ダウンタウン・ミュージック・ギャラリー(以下DMG)で行われるサックス奏者の吉田のの子さんのライブを見に行くためである。DMGは、CD・レコード店で、かつてはイースト・ビレッジの僕の住んでいたアパートの裏にあった。日曜の夜のコンサート・シリーズは、その頃から行われており、その後、移転を繰り返し、どこで営業しているかは知らなかった。スマホの地図を頼りに歩いていると、マンハッタン橋のすぐ横にあるストリートの地下から、サックスの音が聞こえてきた。入っていくとそこにのの子さんが、ループとともにハーモニーを奏でていた。

CDショップは、今やマンハッタンではほとんど見かけない。日本にはまだ、ちらほらあるが、こちらでは流通はほんのごく一部。店で新譜なるものもあまり見かけない。DMGはそもそもフリージャズや即興系を多く扱っており、ジョン・ゾーン関係の作品が多い。のの子さんもゾーン氏の愛弟子で、10代の頃から激しいスタイルのサックスを吹いている。その夜、彼女は、CDやレコードの並ぶ店内の奥、薄暗い蛍光灯に照らし出されて演奏していた。ちょっと前より痩せた店長のブルースは、昔と変わらずカウンターの中から耳を傾けていた。その光景に、僕は90年代後期へタイムスリップしてしまった。あの頃のニューヨークには、フリー系ジャズやロックとのミクチャーな音があふれていたものだ。

などという話を、そこで出会った尺八奏者のKenyaさんと話していた。彼の演奏は、白石民夫さんと即興いるのをyoutubeで見たことがあった。80年代の日本のインディーズに詳しくて、中東の方へもよくツアー行くという。とても興味深いミュージシャンである。その後、ブルックリンで毎週、日曜の夜に行われているSHAREというイベントに行くというので、僕も同行することにした。SHAREも90年代末期からずっと続いているインタラクティブなイベントで、観客と演奏者というものが一体化したワークショップ的参加型共有空間といった感じ。そこにいる人は映像なり、音なりでコミュニケーションをとっている。今は、ウィーンで博士課程にいるKeikoさんが中心になって続けており、ちょうどニューヨークに戻ってきているところであったので、久しぶりに会いたくなったのだ。

SHAREの会場も変わらず、エレクトロニックな音が響き渡り、アブストラクトな映像が流れるゆったりとした空間であった。温かく向けえてくれたKeikoさんも、ラップトップでいろんな音を作っていた。10年以上前に録音した僕の歌を変調して流してくれた。そして、ビールを飲んでほろ酔いの僕もマイクで唸りつづけた。ヨーグルトを食べたKenyaさんは、尺八は吹きながら室内を練り歩いていた。

深夜12時。みんなに別れを告げ、地下鉄で1時間はかかるブロンクスのアパートへの帰途に着いた。そんな静から動へと極端な変化があった秋の始まりの1日であった。

もくのあきおは、大学院で電子音響音楽の作曲の勉強をしながら、ノイズバンドなどにも参加している。

http://www.akiomokuno.com

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