ニューヨーク特派員報告
第166回

「NYC電音フェス2015」


今年も例年に続きNew York City Electroacoustic Music Festival(通称NYCEF)が、ダウンタウンにある複合施設を借り切って1週間行われた。2つの小ホールと大きめの劇場の3箇所、すべて8つのスピーカーが設置してある会場で、午後1時から11時まで絶え間なく電子音楽が披露された。電子音響音楽の作曲の修行をしている僕は、3年前からこのイベントにボランティアとしても参加している。次第に年間恒例行事の様になってきて、毎年会うスタッフも親戚のような親しみを感じはじめている。ノース・キャロライナから機材を運んでくるメインのエンジニアのトラビス、ジョシュ、そしてブルックリンからはハウイーとデビット。この4人がメインで音響を手がけている。僕は、機材のセットアップと片ずけ、ステージのアシスタントなどをする。ギャラは無いが、すべてのコンサートは出入り自由である。

コンサートのプログラムは全部で27回あり、それぞれに約10人の作曲家の作品が演奏/再生される。作曲家は全米をはじめ、ヨーロッパ、南米、やアジアなど世界各国から参加していた。今回は、アジアからは、台湾の作曲家が多かった。日本からは1人、在外日本人は4人いた。年齢層も20代から80代くらいまでと幅が広い。演奏家はニューヨーク在住の人が手配され、バイオリニストのマリ・キムラやフルートのマーガレット・ランチェスターなどの大御所も参加した。今回は、イベントの模様がニューヨークタイムスに、記事として掲載された。

僕の作品は、去年は選出されたのだが、今回は応募の締め切りを忘れていたので逃した。しかし、急遽、一人の作曲家が来られないことになり、代わりにコンピュータのオペレートを頼まれた。それは、バイオリンと電子音の曲なのであったが、ついこの間、ビオラの曲を作った僕としては興味深く、またかなり好みの音であったのでやりがいがあった。楽譜に記されているキューにしたがってキーを叩くわけなのだが、ある程度の正確なタイミングでやらなければ締まりがなくなってしまうので、少し緊張した 。その曲調は、僕的には渋みを感じるものだったので、50歳過ぎくらいのおじさまが作ったのかと思っていたら、雛形あきこに似た台湾の女子大生であったので驚いた。コンサートが終わった後、数人が僕に寄ってきて「素晴らしい曲だった」とお褒めの言葉をいただいたが、いちいち「これは僕の作品ではありませぬ」と言わねばならず、ちょいと切なかった。

印象に残るような素晴らしい作品もいくつかあり、刺激になる。鑑賞中にアイデアが湧いてくることや、真似したくなるような部分があると、メモしたくなるが、ちょっとそれはマナーが悪いと思い、聴収に専念した。ほとんどの作品は、再び同じフレーズが繰り返されるようなものは少なく、またリズムもない。そこには、想像を掻き立てるような意味不明の音や日常で経験するけどはっきり思い出せない音、また全く未体験な音、感傷的な音、生き物のような音などの生成された電子音などが反映されたものが独特の音響ワールドが広がっている。

参加者の方々は首から自分の名前の記されたパスをぶら下げている。知り合いを増やしたり、情報交換をしたりということを目的としたフェスティバルでもあるからだ。午前中は、ニューヨーク大学で電子音響音楽にまつわる研究論文も発表されていた。遠い国から初めてこの街に来る人も少なくなく、積極的に話しかけたり、一緒にご飯を食べにいったりしている。こういったフェスティバルやシンポジウムは全米やヨーロッパなどでも定期的に行われており、すでに顔見知りの作曲家たちも少なくないようだ。

最後のコンサートが終わった夜11時から、機材をばらしはじめた。無事にすべてを終えたスタッフ達の顔には疲れが混じっていたものの、充実感がにじんでいた。ふらふらになりながら重いスピーカーを運び、ケーブルを巻いた。ピザにかぶりつき、ビールを飲みながらだったので、作業の進行は鈍いわけだが、このテキトー感がボランティアの醍醐味である。このフェスティバルはビジネスで行っているわけではなく、音響音楽探求者達によるウッドストックのようなものである。こういう場に携われることは有意義であり、純粋な「やりがい」がモチベーションなのである。

もくのあきおは、ニューヨーク市立大学ブルックリン校の修士課程で電子音響音楽の作曲の勉強をしながらノイズバンドなどで活動している。

http://www.akiomokuno.com

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