マイク・ケリー |
サンクスギビングデーの翌日、長い週末で街がのんびりしている中、クイーンズのPS1(近代美術館別館)まで念願のマイク・ケリー展へ行く事ができた。90年代末あたりにデストロイ・オールモンスターズというノイズ/パンクバンドでのパフォーマンスをチェルシーのギャラリーでみた覚えがある。いまやアメリカ現代アートを語る上で極めて重要な存在の芸術家である。2年程前に自宅で死んでいるのを発見されたというニュースを聞いたときはショックであった。 この展覧会の感想を一言でいうなら、マッシブ!小学校を改造したその巨大な美術館ほぼすべてが彼の作品で埋め尽くされていた。これほど、大規模に一人のアーティストの作品を展示したプログラムは見たこと無い。 4フロワー全て、びっしりマイク・ケリーの世界。まるで彼の生きてきた間の内面的な経験 を、なぞっていたかのような気分になった。そもそも、彼の作品は抑圧された記憶やトラウマに纏わるものが多い。 彼の作品で、もっともポピュラーになったのは、ソニック・ユースが1992年に発表した「ダーティー」のジャケットのぬいぐるみアートであろう。微笑む薄汚れた複数のぬいぐるみとセルフポートレイトの陳列。キム・ゴードンと仲の良かったマイク・ケリーは、ポストパンク的方法論をアートに転用しようとし、またソニック・ユースは現代アート的方法論をロックに転用していた。といった趣旨のプレゼンをコロンビア大学のブランデン・ジョセフ教授がしていたのを思い出す。 その展覧会は、「カンドール」というスーパーマンの故郷の都市をモチーフとした作品群から始まる。毒々しい色合い(薬品の瓶を連想させる)のガラスケースの中に透明の未来的ビルディングが並ぶ。よく見ると、それは氷でできていて、そこにはチューブで窒素が送りこまれている。壁には、そこにあるのと同じガラスケースの中で液体がグルグルまわっている映像が投影されている。この窒素に満たされた閉塞した空間のなかでしか存在し得ない架空の想像都市に、地球上においての「事物/想像の儚さ」を感じずにはいられなかった。 Horizontal Tracking Shot of Cross Section of Trauma Roomsというピースは、ミニマリズムを彷彿させるカラーパターンのレベルメーターの様な木でできた撮影小道具の様なオブジェの裏に複数の液晶モニタ−が貼付けてある。カウントダウンの電子音のあと、人生で起った(恐らく彼自身が経験した)アクシデントの映像が数秒流れる。トラウマ(心のキズみないなもの)という無意識のうちに潜む、思い出したくない思い出がフッと現れてくる瞬間は、このように襲ってくる。 DAY IS DONEもまた、抑圧された記憶を元に、「日常を儀式化」して表現されたおびただしい数のビデオループが展示された部屋である。ケリーはとあるインタビューで、これを「アメリカのポップカルチャーの人類学的調査」と言及している。その中のワンシーンで、長髪の少年が、床屋にいるものがあった。その 超挙動不審な床屋は、 その少年(怯えているように見える)の自慢の長髪を切り落とそうとしている様子が役者によって大げさに演じられているビデオがある。これを見た時、子供の柔軟な脳はこのように極端に現実を誇張して捉える傾向がある事をうまく示したものだと、自らの記憶と対比したりして妙に納得した。 日常のモノを大量に使用することで、全く違った別モノを創るといった作風のものも幾つかあった。 ネックレス、ブローチ、指輪などのアクセサリーを無数に巨大なキャンバスに貼り付けたものや、無数の汚れたぬいぐるみの顔をふせた状態で、キャンバスに縫い付けたものや、巨大なボール状にして、それをいくつか天井からぶら下げたものなどがあった。本来は、 可愛がる対象の顔を隠すことや、パーツ的な扱いをすることで強制的にその個を排除している。それは人形に感情移入しがちな子供にとっては、不気味もしくは残酷である。そのオブジェを見つめる少女の戸惑った表情を見た時に、そう思った。 もくのあきおは、ニューヨーク在住20年目の電子音響音楽作曲家。2014年1月9日に、御器所の「なんや」にて、バンド仲間のさそりとライブする。 |
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