ニューヨーク特派員報告
第145回

60歳のジョン・ゾーン


先日、コロンビア大学にあるミラー劇場で、ジョン・ゾーンの60歳記念コンサートが3日連続で行われた。オーケストラの日と、室内管弦楽の日と、ゲーム作品の日という3種類に分けて行われた。この9月は他にもメトロポリタン美術館やジャパン・ソサエティーなどあちこちでコンサートが行われた。アンソロジーという映画館では、ゾーン氏のチョイスによる映画が上映されていた。

初めて僕が彼の事を知ったのは、今池にあるハックフィンでライブをした時に喉に指を突っ込んでオエ〜ッとやるサックス奏者がいるという話が初めてだった気がする。その頃はゾーン氏は東京の高円寺に住みハードコアパンクやフリージャズなどのエッセンスを盛り込んだ型破りな作品を作り続けていた。ベルベット・アンダーグラウンドやソニック・ユースとともに、僕をニューヨークに誘ってくれたアーティストであることは間違いない。

イースト・ビレッジに住んでいる時はよく道で歩いている姿をみかけた。ルインズの吉田達也氏に紹介してもらってからは、たまに挨拶もできるようになった。いつも迷彩柄のパンツを履いているので遠くからでもすぐわかる。そんなゾーン氏が、かなり評価された人物であると感じ始めたのは、リンカーン・センターのコンサートホールの壁にベートーヴェンやストラビンスキーなどの著名な作曲家の写真が飾れているところの最後に彼の写真を発見した時であった。その後も大学の音楽史の授業でも教授が彼の音楽に言及していたし、前衛作曲家のクリスチャン・ウルフも彼が自身の曲をカバーしたことを喜ばしく話していた。

僕は3日目に行われたゲーム・ピースの日を鑑賞しに行った。ゲーム・ピース(作品)とは、平たく言えばゲームの手法・理論を取り入れた即興演奏なのであるが、作品ごとにルールは異なるようだ。「ラクロス」(陸上球技)、「フェンシング」や「ホッケー」などのタイトルが示すようにスポーツ競技の方法やサインなどを取り込んだ方法が多いが、一番有名なのは「コブラ」であろう。東京大作戦は、渋谷のラ・ママで巻上公一氏がプロンプター(指揮者的な役割)となり、随分長い間続いていた。

生でこのゲーム作品を見たのは初めてであったさすがだと思った。即興演奏というのは、演奏者が自身のプレイを俯瞰しにくく、たんなる音のダイアローグになりがちなのであるが、そこに客観性やルールを持ち込むことによって展開の意外性がでてくる。またサインランゲージなどを用いることでスペクタクルな面からも音への反映や関係性が興味深くなる。カードなどを使い公平な偶発性から、演奏者への駆け引きなどへ伝達するわけだけど、音だけではないゼスチュアなどで意思表示などをすることでありがちな音の小競り合いは寸断・リセットされる。本質的なぶつかりあいだと、角も立つであろうが、これはゲームである。
ゾーン氏は、大学は中退し独学で理論を学び、独自の発想で音楽を追求しつづけている。ダウンタウンを拠点に活動しつづけ、多くの仲間のミュージシャンがいる。アカデミックの中で研究を続けている作曲家のように「頭でっかち」の方向へいかず、彼はダイレクトにやりたことやるような経験主義/実践的である。その発想はストリートに根付いており、作品はそういったところから生まれたブラザーフッドが反映されている。そういった彼のスタイルはダウンタウンミュージックと呼ばれ、ジュリヤード音楽院やコロンビア大学などのエリートと対比されているわけだが、その方法論にはヨーロッパ的伝統に対抗するアメリカ的なプラグマティズムを感じ、自由を感じる。

自らのレーベルを運営し続け、2006年にストーンというライブハウスも始めた。キュレーター形式でライブのブッキングする方法や、あらゆるジャンルの音楽を1曲の中で切り貼りする楽曲など斬新なアイデアで創作を続けてきた彼は、最近はオーケストラや室内楽も作曲し、Arcanaというダウンタウンの音楽家・インプロヴァイザーを中心にした作曲法やメソッドなどの論文集なども何冊か編集している。60歳になってもますます、勢力的に活動するジョン・ゾーンに畏怖の念を抱かずにはいられない。

もくのあきおは、94年に渡米、ノイズバンドなどで活動。現在は、ニューヨーク市立大学機構ブルックリン大学大学院で、電子音響音楽の作曲を勉強している。

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