ニューヨーク特派員報告
第144回

山のエネルギー


ここ3年程、恒例の行事になりつつあるが、この夏も、マサチューセッツ州の山中にあるビッパッサナー瞑想の施設に、3泊4日で行ってきた。3年まえには、そこで9日間、座りっぱなしの修行をしたわけだが、今回はご奉仕。掃除などを手伝う代わりに、空き時間に瞑想をさせてもらった。1日4,5時間くらいはできた。電気のない小屋で、一人。虫の声を聞きながら眠り、鳥のさえずりとともに目をさました。其処に来ている人々は、瞑想が好きなのでとても穏やかで静かな環境である。

自分の生活圏から離れ、すべての情報を遮断し、山の中で目をつぶってしばらくすると潜在意識の中を覗き見ることができるような気がする。無意識的にパターン化された習慣や思考をリセットするいい機会である。自分の何気ない行動すべての根源にある潜在意識に横たわるものを凝視してみる。

夏の山にいると、子供の頃、岡崎のおじいさんの家で過ごしたことをいつも思い出す。おじいさんは、本宮山の麓にあるその村で一生を過ごした。彼は、自然をこよなく愛し、水彩画や短歌でそれを表現していた。ヘンリー・デビット・ソローや、南方熊楠。俗世間から離れ、敢えて山で暮らす人々は、とても興味深い。

高校時代からの友人コウジ・ギリ(日本名はちがうがそういう名前になっていた)は、サドゥー(ナガババ)になり、ヒマラヤ山中の穴ぐらで、6年くらい暮らしている。生活の糧は、すべて村の人が分け与えてくれるという。その代わり、村人たちの相談相手をしている。いわば、それが彼の仕事のようなものなのである。ガンジス川源泉の山の水を飲み、燃料は薪を拾ってくる。必要な電力は、30センチ四方ほどのソーラーパネルによる電池のみ。それを使い小さな電球とラジオで夜を過ごす。彼お手製のダール・カレーはとびきり美味である。

ニューヨークで知り合ったディオンと麻子は、3、4年ほど前から伊豆の山中で自然農法をして生活している。それは、生活と言うよりは、活動という言葉のほうが当てはまるかもしれない(http://shikigami.net/)。なぜならその生活形態は、彼らの意思表示でもあるからだ。そこには地球資源を浪費する大量消費社会やその根底にある資本主義経済に対する絶望、パーマカルチャーという生活理念がある。彼らの計画はかなり前から聞いていたが、それを実践し、軌道にのりかかっていることは、素晴らしいことだ。上のサイトから、ディオンの論文、「ギフト経済」も読めるので、興味のある人は是非、読んでほしい。それは、太古の人類にあった貨幣に依存しないコミュニティによって問題解決への緒にする方法である。

音楽仲間でシステムエンジニアをしている友人は、最近、資本主義社会に対する限界を感じるということを言っている。彼は最近、ジャック・フレスコという建築家兼アクティビストの講演を聞きにフロリダへ行ってきたという。フレスコは、貨幣経済は、人類存続において有害であるとし、資源ベース経済というアイデアをもって、そのビーナスという村を中心にした理想都市のデザインをしている。それはスタイルは違えども、貨幣制度に対抗するディオンの意見に共通するものを感じる。

静かな山の中で目をつぶっていると、ふとノスタルジックなやわらかい幸福感に包まれる時がある。現在・過去・未来の記憶と予感、漠然としたイメージや肉体感覚など、日常の行動・思考パターンを支配する潜在意識の観察から得るものはおおきい。欲望を燃料にする資本主義経済は、都会生活においてあらゆるメディアから人々を洗脳していると感じる時がある。もう一度、人類はちゃんと、自然との調和について考えなおすべきではなかろうか。と山が問いかけてきたような気がした。

もくのあきおは、94年に渡米。ニューヨーク市立大学機構修士修了(芸術)。今度は、作曲で、また修士課程をはじめたノイジシャン。

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