ニューヨーク特派員報告
第140回

実験的集合体


エクスペリメンタル・アンサンブルという主題でのパフォーマンスを先日、ブルックリンのハウス・オブ・イエスというブッシュウィックとウィリアムズバーグの境目あたりの元工業地帯にある劇場で行った。芝居、音楽、アートとダンスなどのそれぞれ全く異なったバックグラウンドをもった15人(ブルーマンのディレクターもいる)が、ひとつのコンセプトのもとにパフォーマンス・アートを実行するのが目的のヴァラエティに富んだコラボレーションであった。

このショーの企画は、去年の秋に始まった。いくつかの劇団のディレクターからの指導のもと、動作模写をする伝達ゲームから始まり、かなり複雑/変な動きから即興パフォーマンスなどの特殊な内容のコミュニケーションを繰り返すことをしていた。それぞれが、違う専門分野のアイデアを持ち寄って表現をすることは、科学の実験にも似ている。思いもよらない画期的なモノができる時もあれば、失敗して爆発することもあり得る(だが使用上の注意をよく読めば避けられる)。

例えば、言語学者のウンベルト・エーコの「記号論的ゲリラ戦に向かって」という論文からのインスピレーションをもとにそれぞれがゲームを作成し、他の生徒達に実践させたりした。メディア社会の情報伝達に潜む罠を日常的な動作の中で浮き彫りにさせる。通常我々は、ニュースなどでも事件を直接検証する事も無くその情報の確実性を判断しなければならない。いかに事実は伝達の課程で微妙な変形を繰り返し、いかに人間の記憶というものが不確かであるのかなどを、一見幼稚にもみえるゲームで具現化するのであった。

多人数ができるだけ民主的な形態でどこまでポテンシャルを引き出せられるか。というのが、ある意味この集団での試みであった。その為にランダムにグループ分けをし、即興パフォーマンスを繰り返し、最後の最後までフローは作らなかった。つまり、本番まで選択の余地を残す事によってサプライズ性を高めたのだ 。それぞれの表現パターンが把握できていると自分のとるべきスタンスも見えてくる。そもそも指揮をとったのが劇団系なので、音的なアイデアと、かぶらないのがやりやすい。

「汚れ無き死体、或は優美なるレセプション」と題されたその公演は、会場全体を表現空間とし、入り口からメインステージまでにそれぞれのパフォーマンス/インスタレーションの場としレイアウトした。大まかに3つのグループが離れた位置で異なる手段で表現をし、共有されたコンセプトとその場の空気という媒体を通して相互作用を繰り返す。境界線が排除されたその空間では、オーディエンスと表現者の関係が現実社会的な設定であり、座席が無く動き回る事を余儀なくされた状態は、美術館の中にいるかのごとく漂流を可能とする。それは、観客を巻込むことを前提とした「ハプニング」形式であった。

舞踏ダンスを彷彿させる極端にスピードを落としたムーブメント。カタジュジャク(イヌイットの音ゲーム)やサックスのマルチフォニック(特殊奏法で倍音を強調し和音を作るフィードバックによく似た音)等のライブ音響加工。ディレイ処理をして反転を応用した合わせ鏡のようなセグメントの映像の歪んだ空間で微笑みかける男女の顔。3人のダンサーの下半身、胴体と頭部それぞれがマッシュアップされる映像。一見、バラバラに見えるそれらの表現方法は、しかし、時間の経過とともに統合されて行き、最後には出演者全員がメインフロアにてAKB48のように不完全で、だけど激しいインド風ダンスで幕を締めくくった。

この実験的ともいえるコラボレーションは、僕が2009年から始めた。パフォーマンスとインタラクティブ・メディアアート(通称PIMA)という題されたブルクリン大学大学院の修士課程の最後のクラスでもあった。この4年間、ニューヨークというマルチに文化が共存する場所で、さらにジャンルの異なるアーティストの卵達との共同作業は、これからの自分の創作活動に大きく反映されていくことであろう。

もくのあきおは、コロンビア大学でイベント関係の仕事をしながら、ノイズバンドなどでの音楽活動をしている。最近は映画音楽も作曲したりしている。

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