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自分をそのときどきの社会にあわせてうまく変えたりまた戻したりしながらサバイバルする、ということは、タフであると同時にそれなりのずるさや世俗性を身につけている、ということでもある。だから、ある時代から次の時代へと生き残ることができなかった人たちのほうが、よりピュアにその時代の精神性を生きた人であるとも言えるわけだ。 筑波の白竜の経営するライブハウスで、しばらく働いていて、80年代後期のツアーバンドには詳しかった。僕より2、3歳上だったけど日本のロックバンドについての話はよくあった。もともと博多で活動していたから、当然、「めんたいロック」をリアルタイムで見ていて、彼のロック感に大きな影響を与えていることは明白であった。 20年ほど前にメンバーを引き連れて渡米して来たそうだ。当時のレコーディングを聞かせてもらったけど、骨太だけどビートルズのような英国的気品のあるメロディーが印象的であった。なによりも、ケンさんの歌唱力に驚いた。小柄な彼からは想像しがたい声量と透き通った声が、デビュー歴を納得させるものであった。 ケンさんは、ドラムも叩くし、ベースも弾く。バンドで演奏している時、彼は最高の笑顔を見せた。根っからのロック好きなのは、誰でも見れば伝わる程のオーラが出ていた。演奏中の集中力は凄くて、バンド歴の長いミュージシャンにしか見えないデテールをちゃんと掴んでいた。多くのライブから学びとった、あの世代にしか出せない音のニュアンスや美学は、見ていて嬉しくなるくらいツボをついていた。バンドもいくつかかけもちしてやっていた。 ロックは、ある種、歯止めの効かない熱狂がその背景にちらついたりする。それは純粋無垢で原始的ですらある。理性の箍を外し、刹那な生への強烈な衝動を吐露する激情のバイブレーションみたいなもので、狂気と紙一重のようにもみえる。その体験をした者がその経験を元に表現している部分に共鳴するわけなので、「見た」か「見ていない」かでの違いは大きい。 そういった激情の表現者は、実社会と折り合いをつけていくことが難しかったりする。ビジネスマン的処世術とは対局とも思えるその美学は、ひたすら生産性だけを目的とした資本主義的発想にはあまり向いていなかったりする。そういった日常から生じる諸問題を回避するとか、最初からそんなストレスは跳ね返せていける人間もいれば、できない人もいる。 そんなケンさんが、死後2ヶ月たった状態で、遺体安置所で発見されたと聞いた。まだ、現実として受け入れられない自分がいる。僕達は、プランツというバンドを組み3年前に一緒にレコーディングもした。そのうちライブも一緒にやりたいなあって考えていた。忙しくしてここ数年、連絡をあまりとっていなかった事が悔やまれてならない。多くの時を共に過ごしたケンさんと交わした無数の会話が頭を巡っている。お互い40過ぎでも青春みたいだった。本当にロックな兄貴であったと思う。 時として、人生は、唐突すぎて、うまく、締めくくれない。 もくのあきおは、ニューヨーク市立大学大学院の修士課程でメディア・パフォーマンス研究をしながらノイズバンドなどでも活動している。 |