ニューヨーク特派員報告
第134回

サンディ


かつてシェアしていたハーレムのアパートがニュースにでていたというメッセージが、元ルームメイトからフェイスブックに届いた。どうやらバスルームの床がぬけて下に落ちたらしいのだ。そこにいた男性は一緒に転落し重体だとのこと。ローカルのニュース番組NY1のリポーターが取材していたペバーミントブルーの縁のガラス張りの玄関は、まぎれも無く去年までの4年間をすごしたあの場所であった。築100年以上経っていて老朽化も激しかったのであろう。これは、サンディの被害というわけではない。

ハロウィン直前のニューヨークは、来るべきハリケーン、サンディの勢いにざわめいていた。台風は日本では秋の風物詩たる気象現象であるが、米東北部にはあまり来ない。ブルームバーク市長はいち早く地下鉄の閉鎖を指示し、防災の準備をし始めた。海の近くの住人達には、避難指示がでた。もちろん、会社や学校も休みになるわけで、週末が延長になったようなかたちなので、人々は心なしか浮かれているかのようにもみえた。去年の夏の終わりにも、アイリーンが突撃してきて同じようなことがあったので、まあ慣れたものであった。

僕はといえばここのところ作曲作業に没頭するため、自ら情報接収を抑制することにしていた。大衆音楽は聞かない。ニュースもみない。ソーシャルネットもアクセスしない。すると自然と頭の中から音が鳴り始めてきてそれを楽譜に記してゆく。無調で前衛テクニックを音響プロセッシングした、テナーサックスのための曲を完成させることだけに日常を捧げることにしていた。しかし、 窓の外で激しい風音をたてて忍び寄るサンディの干渉を避けることはできなかった。

(訳あって)暴風が吹き付ける中、イーストビレッジへ2度も車を走らせねばならなかった。空っぽのハイウェイから鮮やかな黄褐色の葉や紅葉は引きちぎられ、どんよりとした嵐のそらに舞い狂う風景は、芸術的とすら思えた。その色彩のコントラスト状況に強烈な刹那を見て(不謹慎にも)「美」の定義が横切ったのだ。真夜中のダウンタウンは暗黒状態にパトカーの光が点在する摩天楼の谷間には信号も機能していなく、病院から患者を助け出すレスキュー隊でごったがえし現場では、レポーターが不安げにニュースを伝えていた。

マンハッタンの25%は、配電所の爆発によって先の見えない停電に陥った(結局5日間続くことになった)。満月と満潮時が重なりさらにサンディの接近であちこちを水浸しになり、14ストリートにあるコンエジソンの配電所の電気はショートして爆発したのだ。ブルックリンやニュージャージーをつなぐあらゆるトンネルには水が流れ込み未曾有のダメージで交通も麻痺している。どうやら地下鉄操業108年間(古すぎ!)で経験したことの無い被害らしい。

2001年の同時多発テロ(連載7回)や2003年の北米大停電(連載28回)、そして去年のアイリーンを経験しているニューヨーカーは街が機能停止状態になることに慣れている感はあるが、今回の混乱は同時多発テロの時に次ぐものであったといえよう。嵐が去って後の暗闇のイーストビレッジは、月明かりに照らされて思いのほか優しく、まるで山奥にいるみたいだった。人工の光に遮られることなく自然の光を放つ月は微笑んでいるかのようだった。人類はこうして、幾度と無く災害を経験し、学習を繰り返しているわけあだ。これはきっと自然界からのなんらかのメッセージだと感じてしまうのは僕だけだろうか?

もくのあきおは、ブルックリン大学大学院の修士過程にて、パフォーマンス・アートや作曲の勉強をしつつ、コロンビア大学でイベント関係の仕事もしている。

 

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