ニューヨーク特派員報告
第130回

水無月の音楽録


いきなり自慢であるが、ニューヨークに住んでいて得したと思うことがある。それは、 毎年この時期にある野外のあちこちで行われるフリー野外コンサートの豊富さと多彩さである。そもそも、邦楽ポップを除く(このあいだラルクがマジソンスクエアガーデンでやったみたいだけど)あらゆるジャンルの音楽のライブやコンサートがあちこちで催される訳だが、この街で暮らす労働者クラスの生活サイクルでは、すべて消化できる訳もないのだが、この時期は例外だ。この6月、僕は足繁く、有料/無料のコンサートに通った。

最初は、ジョン・ケージ三昧。ケージ作曲のドリームとイン・ア・ランドスケープのピアノ演奏をマーガレット・レン・タンによるものと木川貴幸によるものとを2日連続で鑑賞することができた。これは、前者は、19世紀末の作曲家、エリック・サティ(どっかのテレビ局の放送終了時の音楽の作曲者として知られている)の誕生日のためのものと、ケージの曲ばかりを演奏する全く違う場所で行われた2つのコンサートでの偶然の一致である。

レン・タンはトイピアノ(おもちゃみたいな小さいピアノ)を使ったり、ナレーションや映像なども盛り込んだ演出で、木川は、プリペアドピアノ(内部の弦にボルト、ナットや木片などでミュートしたもの)と普通のグランドピアノの二つを使用した。 2人が取り上げたドリームとイン・ア・ランドスケープは、ケージが強烈に実験的になる以前の1948年の作品で、サティの影響を感じとれるきわめてあっさりとした「美しい」ピアノの曲である。東洋的な音階の反復の色彩がグラデーションに変化していくその曲調は、しかし、演奏者のアプローチで随分と違う響きになることを実感した。やはりコンサートでなければ伝わらない部分は沢山ある。

次は、ミニマルミュージック三昧。スティーブ・ライヒとフィリップ・グラスの楽曲のコンサートを同じ週に鑑賞する事が出来た。両方ともリバー・トゥ・リバーという夏のあいだグラウンドゼロ周辺にあるファイナンシャル地区の川沿いでおこなわれ、大手金融企業などや市が出資している大規模な無料コンサートシリーズの一環である。ライヒは、バング・オン・ア・カン・マラソンという現代音楽集団が企画している12時間のコンサートの中でシックス・ピアノスという6台のグランドピアノを使った楽曲が演奏された。数本のヤシの木が生えている巨大な温室のようなその会場にはクールに反復される旋律の倍音が音響化して、ピアノの音を超越した信号と化していた。

グラスのコンサートは彼の75歳の誕生日を祝うものでもあった。蒸し暑い日の夕暮れ時、ハドソンリバー沿いの高層ビルの麓の公園で彼自身もメンバーとして加わっているアンサンブルの演奏であった。アルペジエイターのような無機的な旋律を複雑な変拍子で織りなして行く、グラスの楽曲は、その後方にそびえ立つ近代的なビルディングのデザインの音像化の様であった。芝生の上では、ワインと夕食を楽しむカップルや家族などの団らんもあり、クラシックのコンサートにしては、ゆるすぎる空気もまた野外での醍醐味。後半にむけてぐんぐんと観客をリズム変化の都会的な迷宮に誘って行った。

セントラルパークの森にある130年くらい前に建てられたといわれる中世ヨーロッパ風屋根付きの野外ステージでは、ドイツの現代音楽家カールハインツ・シュトックハウゼンのおなかの音楽が演奏された。鳥人間のマネキンを囲んで6人の打楽器演奏者達が、グロッケンシュピール、鞭やオルゴールなどを使用して展開してゆく演劇的な作品である。野外公演は、コントロール不能な意図されない音(子供や鳥の声、木々のせせらぎや遠くのサイレンなど)がまじるわけだけども、こういった打楽器だけの演奏には、興味深い臨場感としてよりオリジナルな聴取ができる。暑い日の夕方で、脳味噌がふやけそうであった。

ニューヨークは、冬寒すぎて外に出られない分、夏の間は「これでもか!」というくらい人々はアウトドアを満喫している。交通の多い歩道にまでテーブルをおいて食事をするくらいだ。今日は、アメリカ独立記念日、夜はダウンタウンで花火があがる。雨がふりそうな天気なので、今夜は、僕はおうちにいることにする。

もくのあきおは、在米歴18年の自称音楽家。大学院で現代アートなどの勉強をしながら作曲活動をしている。

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