ニューヨーク特派員報告
第122回

あらゆる境界線の間で


ポストモダン!否定と分裂を繰り返し生成変化の果てのややこしさも絶頂な思想に触れながら芸術批評もするというクラスにこの秋は取り組んでいる。未来派から始まって、ダダや超現実主義へと更なる分裂/拡散を遂げ、ついには「作者の死」に至り、芸術家そのものの存在意義にまで疑問を投げかけ、主体からの脱却の挙げ句、 あらゆる境界線に注目する現代(アート)。ネオアカに恋いこがれて生きてきた僕は、ますますその仕組みに興味津々。が、脳味噌から内出血しそうなくらいエソテリックなので困っている。


アンジー・エング (パリ在住の中国系アメリカ人)の「リミナル」 というライブ映像詩表現についてのクリティックに挑んでいる。リミナルとは、リミナリティの形容詞で、民俗学者のファン・ヘネップが作り出した言葉。2つの位相の間を移り変わって行く状態を示すのだが、これを文化人類学者で「通過儀礼」などの研究をし、社会劇なども提唱したヴィクター・ターナーが、さらに発展させた概念だ。リミナルな状態は、中途半端で不安定でもあり、それは、青春時代( 青年から大人への移行期間)そのもの。

ニューヨーク電子芸術祭 の〆の行事として、公演された「リミナル」は、ピアノ、パーカッション、チェロと声帯模写の即興演奏とともに、ライブ映像プロセッシングが舞台のスクリーンに投影されるかたちで行われた。「怪物」、「通過」、「リミナル」と「信仰的」という4つのセクションで構成され、それぞれの象徴となる物体をモジュレートし、他の連想させる映像とスーパーインポーズしたりしていた。アンジーは、それらの映像は、視覚音楽だと言う。それは、聴覚で感じるものではない。あるいは映像詩。記号/メタ言語としてその表象を読み取ることだ。

なによりもこの公演の目玉は、このリミナリティを具現したようなインターフィス。その名は、ビデオベース。これは、スイスのエンジニア、マイケル・エガー によって考案/開発された官能的な曲線美を備えたエレキベースの姿をしたビデオ操作機具。4本の太い弦は張ってあるが、ピックアップもペグも見当たらない。よく見ると弦は弾く様には出来ていなく、代わりにノブ(プレーステイションの)と12個のつまみがついている。それらは、映像の明暗、色彩、コントラストなどを調節するようにできていて、フレットはそれぞれのフッテージの時間軸になっている。フットスイッチもついていて、撮影からループまでをも操作できる様になっている。まさに視覚で音を構築しようとしている彼女にうってつけの武器。ジミヘンのストラトなのだ。

この公演に伴い2回、アンジーとマイケルの実演会があり取材もかねて参加した。彼女達の簡単な略歴からはじまって、今回のパフォーマンスの構成や趣旨、ビデオベースの仕組みや制作過程などの説明のあとに、ビデオベースのデモをしてくれた。一楽儀光のドラびでお のように、音が映像をトリガーする構造には全くなっていないので音は出ない。べたな操作機具がそのままベースの姿に変態したものなのである。つまり、ベース=低音楽器という、固定観念を破壊した芸術作品でもある。だから、意図的に音はださない。あくまでそれは、イメージにのみ反映する。

アンジーは、このビデオベースを最後の「信仰的」のセクションで披露した。彼女は、モデルの様な完璧なスタイルなので、それを抱えた姿はまるでロックスター(トリックスター)の様であった。3人の演奏者達のパーカッシブで呪術的な反復のうねりのなかで、そのベースは、目に見えるカラフルな周波数を奏でていたかのようであった。もはやピアノやチェロがその原型音を超越しているなか、その記号としての映像変調が鼓膜に響いた気がした。

もくのあきおは、市立ブルックリン大学大学院で次世代の表現について熟孝中。即興ノイズベーシストとしてノンウェーブの先輩達にまじってライブすることもある。

  1. http://angieeng.com/blog/
  2. http://angieeng.com/blog/?page_id=789
  3. http://www.nyeaf.org/2011/
  4. http://www.anyma.ch/
  5. http://web.mac.com/dr.ichiraku/iWeb/doravideo/welcome.html

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