ニューヨーク特派員報告
第116回

ブルックリン的表現


僕は2年前の秋から、ブルックリン大学の修士課程でアートやパフォーマンスなどの可能性について勉強をしている。コミュニティに密着したものや、関係性に基づくものなど、表現のカタチは、時代とともに変化している。同期で入学したクラスメートは、フルタイムで単位を稼いでいたのでこの春が最後のセメスター。だから、 それぞれのシーシス(卒業制作)のコラボのパフォーマンス/展示会が行われている。

ちなみに自分は演劇の経緯をもつフィルとのプロジェクトで、サリンジャーの「エズメに捧ぐ」と日本の道徳の時間で触れた「かわいそうな象」という2つのストーリーの登場人物/動物が、それぞれの心境や思い出を語ったりしながら、観客とインタラクトし、その状況を換喩したビデオ映像と音楽でモジュレートしながら実況中継してゆくというもの。第二次世界大戦という狂気の時代をダブルスタンダードな視点で現在に甦らせ問題提起する日米合作の実験パフォーマンスだ。

同じく演劇系のバックグランドをもつマッケナと手話のできるリサの展示会は、セントラルパーク西のトランプタワーのすぐ横というお金持ちエリアにあるギャラリーで行われた。ジュラ紀の芸術を展示しているという不思議な美術館にインスパイアされたらしい。100年以上前の不思議なニュースの新聞拡大写真、図書カード入れの引き出しに芝生とともに切り刻まれたある村でのDNAリサーチニュースのカットアップ、肝臓を狙ってノックダウンさせるのが得意なボクサーのことが書かれたスクリーンを眺めながら、料理人がチキンの肝臓について話しているのを聞くなど。すべては、彼女達のリサーチの具現化と言った感じのものであった。伝書鳩の目印というナスカの地上絵のような模様が会場の中心でライトアップされていてとても印象的であった。

恋人同士でもあるティムとクロエは、48時間ぶっ続けという、ギネスを目指したような長時間やるというコンセプトを提唱して、それをカンファレンスという形式を用いると聞かされていた。当日、朝食つきのオープニングセレモニーがあり、2日間のメニュー、進行やアミューズメントなどの説明などがあり、その後、主催者がトンズラするというオチで締めくくられた、見事な詐欺まがいなパフォーマンスであった。おかげで参加者は予期せぬ時間を手にいれたというハッピーエンドのようであり、また期待を裏切られたという残念さもあり、表現の根本について深く考えさせられるある意味、哲学的ですらあった。

ホメオスタシス(恒常性)と銘打って、カオス理論の方程式などを使い8カ所に音を飛ばすマイクロサウンド(グラニュラー合成系)に、幾何学的グラフィックをフィードバックさせるというコラボは、プログラマーのウルフと彫刻家のジャスティン。とてもテクノロジー無しでは実現不可能なこの世界は、東京都現代美術館でのインスタレーションでも話題となった、池田亮司の目指す知覚領域体験の影響が色濃くでていた 。

すべてのシーシスパフォーマンスは、この半年間クラスでプレゼンやディスカッションを重ねて来た賜物であり、この修士課程に於いてのゴールのようなものだ。学際的なコラボレーションとは?という事に焦点を合わせ、表現活動に反映させる試みをしてきたひとつの集大成。僕はまだ卒業では無いので、最先端のアートについて熟考は終わらない。これだけ分裂をつづけている無数のカテゴリーの中で、「新しい」を追求する事に価値があるのか?作者の動機が受け取る側にとってどれだけの意味をもつのか?—コンセプチュアルな表現に挑戦して行く日々はつづく。

もくのあきおは、94年に今池から渡米し、ニューヨーク市立大学音楽科卒業後、コロンビア大学でイベント関係の仕事をしている。過労の後に「デスバレー69」を聞いて癒されるタイプ。

 

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