ニューヨーク特派員報告
第113回

生命体としての街


今年は、「今池式2011」というオムニバスCD発売20周年を記念し、参加した3バンドが再結成ライブを果たすというイベントにて幕があけた。ell SIZEは、ミドルエイジで埋め尽くされ、青春(?)であった1991年と変わらない活気で盛りあがり、感慨深く幸せを感じていたのであった。そして、 時の流れを経て、さらにウタに説得力と、演奏に成熟した味わいが反映されているという事実におどろかされた。また、当時のまま封印されていたライブの音(空気)がどっと記憶を喚起してくる勢いは、いままで体験したことのないセンセーションであった。

今池ロッカーズといっても20年前の話しで、現在の今池レジデンツからしてみると耳にした事もない可能性も多く、当時、足を運んでくれていた人達も各々の人生を忙しく過ごしているわけで、内心、動員に関してはかなり不安もあった。ビラを片手に得三やハックフィンに行ってみて昔と変わらない光景を目の当たりにして、でもそこに知った顔はもう無い事に気づき(テラゾとナンヤにはいたけど)、はたと我にかえった。17年前に名古屋を去った僕の記憶の中では、街の住人がそのままになっていてアップデートされてなかったのだ。

街は、生き物に例えられることがある。そこを構成しているのは人間であって、住居としてのビルや店舗などは結局入れ物にすぎない。そのネットワークは、常に目的に向かって何らかの運動を繰り返し、変化しつづける。かつてのイーストビレッジがパンクスの巣窟であったように、現在の今池にも若い世代のパンクスがいるけど、昨今のビレッジは、CBGBなどのライブハウスも姿を消し、プチブル的ホテルができウォール街に通うビジネスマンが住み、かつてとは全く異質の様相を呈している。しかし、今池は、いまでも風俗店や飲み屋が立ち並びパチンコ屋のネオンは欲望を飲み込むかの如くド派手に光り輝き、その地名から連想させる含蓄は衰える事が無い。

僕が17の時に暮らした事のある西区の一角などは、家屋ごと区画整理のために取り壊されていて、グーグルマップなどで、人物アイコンを投下しても、もはやそこにはあとかもない。そうなると、当時、大盛りの天蕎麦を振る舞ってくれた定食屋のおばちゃんや、隣の酒屋さんのちびっ子達のいたあの下町情緒のただよっていた街は、記憶の中だけに存在する架空のものとなってしまったという事だ。かたや実家のある名東区の一角などは、まったくかつてと変わらぬままのたたずまいの場所もあって、そこには昔から同じ名字の表札がかかっていたりもする。そのまま歳をとっていっているのだ。

前はイーストビレッジの住人であった僕も、ここ5年くらいはハーレムに住んでいるわけだが、この街だって、もともとは、オランダ移民ばかりが住んでいて、大恐慌後は、黒人が全米から流れ込んできてハーレム・ルネッサンスなる黒人文化が花開き、ジャズが盛んになり、セロニアス・モンク、チャーリー・パーカー、やビリー・ホリデイなどが住んでいたりもしたわけだ。ビバップ関係の書物などで、近所の話題になると、現在の状況から名残などを想像しながらタイムスリップできていいし、近所のジャズバーへいくと、「バードとセッションしたことがある」なんていうおばあちゃんが歌っていたりもする。しかし、入れ物の中身はもう変わっている。

世間がバブル景気にうかれていた80年代後期から90年代初頭にかけて今池を拠点にしていた我々もいまはあちこちへ散って暮らしている。「今池式2011」で、あの時代に存在した架空の街が甦った気がしたのは、僕だけだろうか。ライブあとの打ち上げには、観客の半数近くの関係者で大にぎわい。2次会は、古巣に移動し話しはつきなかった。かつて激しく夢を見た同士達が、シビアな現実も乗り越え、また集結できたなんて奇跡的だ。そして、共有しつづけているロックの幻想を確認し合えた事は、これからの創作活動の大きなインセンティブとなる原点回帰であった。

もくのあきおは、ニューヨーク市立大学大学院の修士課程で、インタラクティブメディアアートとパフォーマンスの研究をしつつ、ノイズバンドでも活動している。

 

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