ニューヨーク特派員報告
第102回

21世紀最初のディケイド


2010年。それは、新たな10年の幕開け、そして21世紀にはいってもう10年経ってしまった。10年といっても、人それぞれ内容の濃さとかそれ自体とかまちまちなわけだが、僕のこの10年は地味だけど、それなりに前進したのではないかって自負気味。そしてこの街、(ふと、凍結風の吹き荒れる、氷点下5度の窓の外に目をやる)ニューヨークの表向きは変わらない。

ロックをカテゴライズするのに、60年代/サイケとか70年代/プログレ、ハードロックとか、ジャズは40年代/ビバップとか50年代/クールジャズなどと10年おきに仕切っている。これは、おそらくその特定のアーティストが活躍する時期や、ムーブメントなど数年をまたにかけての作品のリリースを整理しやすくするためであろう。また、「おっ、そのカッコ60年代っぽいじゃん。」とか、「40年代っぽいテイストのコード進行」などの形容詞としても用いられる程、10年という月日は記号化される。

物事というのは、起っているその場ではなく、その後に改めて、何が起ったか検証される。起ってしまった事実は、いろんな視点から言語化され俯瞰され、どういうことだったのかということが認識される。よく年末特番なんかで、「2009年はどういう1年だったでしょう?」みたいにその年の事件や出来事を振り返って、「暗い1年でした/不況な年でした」という風にまとめる。あるいは、いかなる事も、意識的に振り返らなければ、なんでも無かったという事にもなり得る。

僕が、多感な10代だった80年代は、60年代がもてはやされていた。当時、ヤングだった僕は、20年前世界中で起っていた過激な学生運動だの、ベトナム戦争、フラワームーブメントなど、豊富な映像(今程ではないにしても)やロック(反社会的電気音楽)などをはじめ、雑誌の特集などから、僕が母の子宮に宿される以前のその時代に思いを馳せたのであった。現在進行形の時と比較して、なんて昔はホットだったのだと思っていたものだ。「つまんねー、退屈な時代だなあ。」とか、「ぶっ壊しちゃえ、退廃こそ美!」なんて嘯いたりして。

ちょっと前、なにげに80年代ディスコっぽい音がはやっていた。モノトーンの洋服に身を固め、髪の毛をダイエースプレーでたてたポジパン系の集うディスコで、よくかかっていたデット・オア・アライブを彷彿させる音だ。 思想的なものでも、80年代を考察、研究した新書などをよく目にする。まっただ中にいると、己の目の前、もしくは周辺くらいの事ぐらいしか把握できないが、過ぎてしまえばいろんなデータやソースが続々とでてくるものである。当時、自分の状況を軸にそれらを分析し、社会的現象、流行やムーブメントなどを定義づけたりする。

2000年代。このディケイド(10年)で主に際立った全体的な動きは、情報伝達のスピードの加速、共有と氾濫、そしてグローバリゼーション。音楽はそれに伴う流通経路などのパラダイムシフト、携帯mp3プレイヤーの普及、ユーチューブによる豊富な動画のパブリックドメイン化。溢れかえる情報は選択を迫られ、ポップスや映画などの大衆娯楽の消費は加速度を増した。しかし、残念なことに、音楽そのもののスタイルやムーブメントになると、どうも何が起っていたのかよくわからない。CPUの発達で、無数のトラックやプラグインをデスクトップ上で操作することで、個人レベルでもプロ級の音質のプロダクションが可能になったにも関わらず、そのテクノロジーは新しい音をつくるという創作性には、まだ反映されていないように感じでしかたない。よりどりみどりのオプションに目が眩んで、本来のアイデアが見失われがちなのではなかろうか。

21世紀とは、僕が子供の頃は、タイムマシンができるくらいの科学の発展が期待されていた 。とりあえず最初のディケイドでテレビ電話はできるようになった。2000年代が終わる事によって、90年代が検証されることになるだろう。そして新しい2010年代がはじまった。新しい時代は自らの手できり開いていかねばなるまい(なーんっつて)。世間がどう変わろうと、 自分は己の道を歩むのみだが、世界中の人がハッピーでいられるようになるにこした事はないと願っている。

モクノアキオは、コロンビア大学のAVテックをし、ブルックリン大学大学院でメディア・パァフォーマンスを学んでいる。ノイズ/エレクトロニック系のバンドでベースも担当。

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