ニューヨーク特派員報告
第95回

音楽という哲学


僕は子供の頃から老人が好きだ。人間はいろんな事を知り尽くす頃には、老人になってしまうのであろう。知識の豊さだけでなく、知恵も豊富で、器のキャパシティも大きい。そんな存在感は還暦以前には醸しだせるものではなかろう。そんな気になるおじいさんの中に、ジョン・ケージとう作曲家がいた。とても素敵な笑顔と、飛び抜けた奇抜なアイデアの持ち主。音楽学系の人は、彼を音楽哲学家と言う人もいる。彼の存在は、第2次世界大戦後の調性主義崩壊を経た音楽史において極めて重要。ソニックユースやステレオラブなど、昨今のオルタナ系のアーティストへの影響力も大なのだ。

そもそも、僕は16歳から働いている。家庭の事情で、音楽を志した事で、自立する道を選ばずにはいられない状況になったからである。誰しも10代で自分の人生の方向を見つけなければならない雰囲気になる。真っ白な頭の中に、具体的にどういう知識を記憶させていくかによって、その人間のプロフェッションは違ってくる。それだけに、「自分が何をしたいか?」ということが重要になったりする。僕は、音楽がとても好きだった。周りになんと言われようが、自然と音楽の魅力の虜みたいになったりしてた。

アメリカの作曲家、ジョン・ケージ(1912?1992)から連想する代表的なものは、ピアノの弦にボルト、木片やプラスティックなどでミュートすることで、基音より倍音を強調するプリペアド・ピアノ。そして、曲の要所などを、作曲者の意図を排除し、自然の摂理に近くするため、易経などで決める「偶然性の音楽」。ピアニストが、ステージの上であえて演奏をしないことで、観客との関係性の問題提起をしたともいわれる曲「4分33秒」などがある。

プリペアド・ピアノを用いたケージの作品で、大がかりなものとしては「ソナタとインターリュード」が1948年あたりに作曲されている。16曲のソナタと4曲の間奏で構成されていて、そこには、彼の作曲に対する独自の概念が詰め込まれている。一聴したら、それはピアノからでている音である事に驚く。むしろ数人が金属楽器を用いてガムラン(バリ島やジャバ島の民族音楽)を演奏しているような音楽なのだ。それぞれのセクションは、あらかじめ比率から指定し、そしてデテールを考えたようだ。そのモチーフの比率は、易などでランダムに決定されている。その淡々とした複合変拍子にはじきだされるハーモニクス達は、潜在意識下の人間の原始性にうったえかけているかの如く、聴くものをある種のトランス状態へと誘う。

ケージ曰く、彼の音楽は、構造、方法、形態と素材という要素から成り立っているらしい。構造とその他の3つは、相反する性質のもので、その関係性が作品を構成するにおいて重要な役割を果たすという。これは、元来、音楽学校で教えている理論のなかではかなり説明のしにくい方法論なのだが、あえてこういったアブストラクトな概念に変換することによって、古典的形式に支配されてしまった音楽を解放するというアプローチにつながっていったのであろう。絶対的な全体像から、フレキシブルな詳細へとまるで彫刻のように作品をシェーピングしていってるのだ。

そういった彼独自の方法論を、ケージは「実験的作曲」と銘打ち、ニュースクールのクラスで、教鞭をとっていた。そこで学んだ作曲法を応用活用した芸術集団がフルクサスだ。後にビデオアーティストとして有名になったナム・ジュン・パイクや、かのオノ・ヨーコなども参加して、神出鬼没なパフォーマンステロ「ハプニング」などで、60年代当時、物議を醸し出していたニューヨークの前衛芸術集団。それは、まさにケージの芸術創造概念の延長線上にあると言える。

音楽以外でも、キノコ学で博士号を修得したり、コロンビア大学で鈴木大拙のもと、禅の勉強をしたりと多彩な好奇心の持ち主でもあった。こういった知識は、ケージの哲学をより論理的にビルドアップし、創造へのエネルギー源にもなっていた。ニューヨークダダの発起人の芸術家マルセル・デュシャンとの交流や、生涯のパートナーで、バレエの振り付け師、マース・カミングハムとのコラボレーションなど、学際的な活動で、芸術の意義を高めた。晩年はメソスティックという単語の中心部分のアルファベットを縦にもそろえるというタイポグラフィック的な詩を考案したり、実験的かつ高度なライティングなどかなりの文才も発揮していた。

音楽という媒体を哲学化した作曲家ジョン・ケージ。思想は音に反映され、その音が思想を刺激する。多様化され、統合されていく現在のパフォーミングアートに於いて、彼の功績の影響はかなりなものと言えよう。ケージは生まれてきた時から、おじいさんだった訳ではないが、若い時から老け顔であったからなのか、どうしてもあのにっこりと自信たっぷりの笑顔の印象が強い。願わくば、そんな笑顔のじいさんになりたいものだ。

モクノアキオは、94年に渡米、ニューヨーク市立大学音楽科を卒業。電子音楽やノイズのバンド活動や、現代音楽とポップミュージックの接点を模索したプロダクションの追求などに精をだす日々を過ごしている。

www.myspace.com/spiraloop

copyright