ニューヨーク特派員報告
第93回

現代音楽史のクラス


大学生活最後の学期にとっておいたクラスは、現代音楽史。20世紀に入ってからスタイルは多岐に花開き、急速に発展していった音楽とその時代背景、芸術運動やその論理なども交え、朝の9時半から、1時間半、週に2日程のクラスだ。今学期は、これとマスタリングのクラスだけなので、専念するには、丁度良い。 担任のジェンキンス教授は、パワーポイントをガンガン使って、ビジュアル的にもインパクトのあるレクチャーを展開し、情報量が非常に豊富。しかも、もの凄い勢いで捲し立てるような解説は、彼の知性の回路に脈々と流れる血液の勢いが伝染して、脳が充血してくる。ひとつのトピックは、だいたいひとつのムーブメントとかで、それにまつわる人物が無数に登場してきて、時代背景を浮き彫りにし、その時期の音楽のスタイルの解説へと繋げて行く。

歴史のクラスは何かと、ライティングやらリーディングが多い。このクラスの一学期中に、4つのショートエッセイ、2つのリサーチペーパー、そして4回のクイズに、中間と期末試験で、グレードが評価される。つまりほぼ毎週のように理解度を確認されるようになっており、非常に手を抜きにくいカリキュラムが組まれている。とりわけ、このリサーチペーパーは時間がかかる。課題の書物を読んで、それについて解説すると同時に、その曲についても分析しなければならないからだ。

まず1回目のリサーチペーバーは、12音技法作曲をあみだしたアーノルド・シェーンベルクについてのアナライズ。20世紀前半にウィーンで活動していた作曲家で、現代音楽を語る上においては非常に重要な存在。バッハの時代から発展を続けきたハーモニーの構造そのものを、根本から覆してしまった作曲法についての手記を読んだ。その作品は、一聴しただけでは発狂したように聞こえるが、非常に緻密な理論の上に成り立っている。彼のそれに至るまでの考察やプロセスなどを解説し、その楽譜の構造を説明せねばならなかった。もともと興味のあるトピックなので、多めに時間を割いて、机にかじりついて取り組んだ。フォーマルなライティングって結構時間がかかるものだ。

この手の著名な作曲家の書き物を読むのは、実に感慨深い。そこには作品からだけでは察する事の出来ない、思いっきり主観的なパッションがあるのだ。とりわけ、ロシア出身で当時革新的であった巨匠ストラビンスキーのエッセイは、物議をかもしだすくらいアグレッシブなものであった。彼は、新古典主義であった時期があるのだが、それは激しい反ロマン主義からきていることがひしひしと伝わってくるほどの否定の連続。彼は、『感情たっぷりのダイナミックな楽曲は、音楽そのものの本質にとって障害に過ぎない』と断言している。これは当時の芸術音楽の中で流行していた風潮、ことに保守的な部分に対する手厳しい批評であった。

20世紀にいたるまで、バッハ、ベートーベン、ワーグナー、ドビュッシーと、音楽史の中で象徴的存在となる作曲家達は、常に過去に学び、それを発展させて自らのスタイルを編み出した。新しいモノを創りだそうとするエネルギーは、常に模倣、そして試行錯誤の上に編み出され、進化してきた。興味深いのは、トレンドとなる新しいカタチは、常にそれまでのものより対比的なものが多く、それは、その間を長いスパンで行ったり来たりしている事だ。それはまるで、ヒッピー(ラブ)の後にパンク(ヘイト)があったり、ダンスミュージック(無機的)のあとに、ウタもの(人間的)が流行ったりするみたいな感じだ。

シェーンベルク以降、電子音楽やテープコラージュなど、ハーモニー以外の要素を盛り込んだものや、クセナキスの様に複雑な方程式のうえに成り立つ楽曲等、斬新な手法が生まれてきた。これらはすべてテクノロジーの進化を反映しているといえる。しかし、その裏で時代を象徴する文化の風潮というものは、有機的と無機的の間を反復している気がする。つまり、歴史はやっぱりどこか繰り返しているのだなあと思う。

モクノアキオは、ニューヨーク市立大学で、音楽プロダクションなどの勉強をしながら、フリーのエンジニアもしつつ、バンド活動をしている。

www.myspace.com/spiraloop

copyright