ニューヨーク特派員報告
第90回

マスターディスク社訪問


2008年、秋のセメスターは、クラシックピアノ、ソングライティングとマスタリングのクラスをとった。コロンビア大学内の施設で音響のバイトも掛け持ちしてたので、出席率はいまひとつではあったが、なんとかパスすることができた。マスタリングとは、CDなどを大量にプレスする前の音源制作プロセスに於いての最終作業。フルアルバムなどの全体の音量、イコライジング、曲間などの調整をする、いわば仕上げ作業のこと。

マスタリングのクラスは、ポール・スペシャル氏が担当であった。このスペシャル教授は、有名どころではエアロスミス、ホイットニー・ヒューストンやコールドプレイなどのミックスに携わったり、複雑な録音スタジオ等のワイヤリングをデザインしたり、テレビなどの放送モノ(先月はブリットニーの仕事もした)や、ウッドストックなどのライブPAの担当など、そのキャリアは多岐にわたる。このような、経験豊富なエンジニアの授業が受けれることはためになる。本来担当のディレクターは、有給の研究休暇中ということで、こういった機会ができた。

スペシャル先生は、一言で形容するなら、すごく温厚で優しい七福神の布袋様を思わせる。エンジニア業界で成功している人は、こういったかなり人間的にできている、人当たりもよく丸いキャラが多いようだ。たしかに、アーティスト/クライアントと関わる場合や、随時のトラブルシュートなど確実にをこなし続ける為には、必要不可欠な人格かもしれない。

個々の授業はランダムで、生徒達のリクエストでトピックを決めていった。やはり、ミックスの裏技がもっとも注目する所であった。経験豊富なエンジニアの商売道具とするそのテクニックを、短期の間に伝授して頂こうという期待があった。毎回クラスの後半に、生徒達の作品をリスニングして、ディスカッションした。音のバランス、EQやコンプのかかり具合などを、業界のスタンダードを知る耳から判定してもらう。スペシャル氏の対応は、常に肯定からはじまり、ちらりと核心に触れるデリケートな感じなので、こっちから積極的にコメントを求めないと、得るものが微妙になってしまう。

このクラスの期末メインイベントは、みんなでニューヨーク屈指のマスタリングスタジオのひとつ、マスターディスク社を訪問し、生徒達の作品のひとつをプロの手にかけてもらい、その過程を見学しながら、その他いろいろとその仕事について知るという事であった。このスタジオのかかえているエンジニアは、ダフトパンクや、キラーズを手がけたハウイ・ウエインバーグや、ジェイZ、ヒップホップ系で定評のあるトニー・ドウシーなど、その筋では有名どころが名を連ねている。日本からは、ドリカムや長渕とかもここでマスタリングされたアルバムがある。

そういったエンジニアの中で、我々が指南を乞うたのは、アンディ・ヴァンデッテ氏という宇多田ヒカル(後で知った)の多くのアルバムを手がけている鉄腕技師。スペシャル氏との付き合いも長く、仕事上でも良きパートナーのようだ。アンディ氏のスタジオは、なぜか立って仕事をするよう設計されていて、ラックにある全ての機材はチョイ高め。4種類のスペックの違うスピーカー、コンバータ、かなり詳細まで設定できるイコライザーに、数種類のコンプレッサーをパッチで、必要に応じて使って音を磨き上げるシステムになっていた。そこにある機材すべては、とてつもなく専門的なものなので、ハンパないコストがかかっていることは、一目瞭然であった。エンジニアのそれぞれの仕事風景を見学させてもらって驚いたのは、その環境は全く異なる事。スティーリー・ダンやジョン・ゾーンなどを手がけているスコット氏のスタジオには、数千万するスピーカーだけを用いていた。

アンディ氏が、マスタリング実習にピックアップしたのは、僕とエイバのエレクトロヒッピーのユニット。電子ビートと生バンド演奏を融合させた最近らしい音だったのが、例として使いやすかったようだ。全体の定位、気になる周波数などを微妙に修正し、後は、コンプ、リミッターをかけて音量をギリギリまであげていった。音圧の高さのあがり具合は凄まじいものであった。CDの音圧は年々上がっていっているらしい。

マスタリングエンジニアという仕事は、その内容があまりに専門的である故、プロとして活躍してる絶対数は少ない。それだけに、みんなジャンルを越えて幅広く手がけているようだ。大量生産されるCD、つまりコマーシャルなものやポップミュージックはあらゆる状況下で再生されるため、どんなディバイスにも対応できる音に仕上げなければならないという点、こういった熟練した客観性のフィルターは、やはりかかせないのであろう。

モクノアキオは、ニューヨーク市立シティカレッジでソニックアーツ科を専攻し、もう卒業。今度は大学院でインタラクティブメディア系の勉強をしようと、もくろんじゃったりしている。もちろん、バンド活動も平行している。

www.myspace.com/spiraloop

copyright