ニューヨーク特派員報告
第67回

万物は流転する


2007年1月1日。ニューヨークではなく、24時間の旅を経て名古屋の実家に居る。マンハッタンの喧噪になれている僕は、この痛い程の静寂に、耳鳴りしている。大学の図書館より静かで、モノを書いたり、読書に専念するにはうってつけの環境だ。そして、6日後に迫った久々の(新しくなって初めての)ELLでのライブにむけて、緊張している。

帰省してから3回、なんと14年ぶりに、Rootsのメンバーとスタジオ入りをした。まさか、再結成が実現するなんて、考えてもいなかった事なので、かなり興奮した。しかも、スタジオのお兄さんも僕が10代の頃からお世話になった人で、時だけが流れてまるで何も変わらないでいるようであった。実際、2日目のスタジオでは、すでに10年以上というブランクはまるで無く、最後のライブの延長線上にいるように思われた。時の流れが全てを解決していた。

Rootsは1987年から1993年まで、名古屋を中心に活動していた。僕のロックへの初期衝動そのものを注ぎ込んだバンド。頭の中がカラカラになるまで、思いつく事は全て試し、自分の生活も全て注ぎ込んだが故息切れし、活動を止めざる得なかった。もう次に何をしたら良いか解らなくなったのである。

その直後、僕は新たなるアイデアを探しにニューヨークへ旅立った。1993年当時のダウンタウンは、ドラッグが彼方此方に蔓延っていて、アルファベットシティは無法地帯で、家賃も安く、アーティスト達にうってつけの環境であった。 脳の痺れのため持ち金が尽き、コネチカットで皿洗いのバイトしたりしながら、でも音楽活動と直結する流れが無かったため、とりあえず一月で日本に帰国した。何がなんだか訳も解らず、結局その旅から自分は何も得られなかったことが、ずっと心残りで、それが僕に移住を決心させる伏線にもなった。

日本に戻って来てからしばらくして、僕は東京の下北沢に引っ越し、吉祥寺のライブハウスで弾き語りをしながら新たなるバンド活動を目論んでいた。そのまま東京で音楽活動をする方が現実的だと考え始めていた矢先、何かが僕の中で弾けとび、気がついたらニューヨークに居た。それから6年間、僕は一度も日本に帰ってくる事は無かった(出来なかった)。

あえて触れぬが、数々の苦難なシチュエーションを乗り越え、今、僕は人生の中に於いて、もっともクリエイティブな環境に恵まれている。音楽を志す仲間に囲まれ、24時間いつでも録音可能なスタジオにアクセスできる。だから僕の生活は、とてもシンプルで、目的も水晶の様にクリアー。制作活動に没頭し、音楽活動に関わる知識を養うことがプライオリティなのだ。

誰に頼まれた訳でもないが、僕は、一度も音楽をやる事をあきらめた事はない。(ロックはあきらめたことはあるけど、、。)でも、今回、14年ぶりにRootsの復活を思いついてから、僕はどこか「ロックの亡霊」に憑かれているところがある気がしてならない。僕の中でのロックの定義は1970年代までのムーブメントとして完結している感があるが、その実体のない魂の様なモノが、僕を突き動かし続けている気がしてならない。その思いは時に、僕自身をいい意味でコントロール不能にしてしまう。

キリストが誕生する500年くらい前に、ギリシャの哲学者のヘラクレイトスは、流れる川の中に立ち、水が流れている限り立っている位置は同じではない事を悟った。僕らが今共有している時間はその水なのだ。僕の好きだったシドバレットやジェームスブラウンや北村昌志さんも去年、他界してしまった。彼らの生命エネルギーは、冷えて固まり永遠のものとなるだろう。しかし、もう、同じ空間で彼らとのコンタクトは不可能な存在となってしまった。

僕にジミヘンやジャーマンロックを教えてくれたドラマーの長尾ひばりさん、一緒にバンドをやったベーシストで素敵な漫画家の高木りゅうぞうさん、そしてマッドチキンにも参加してくれたモンスターゴーゴーズのヒデローさん。みんな帰らぬ人となってしまったけど、彼らの魂は僕のなかで生きて、僕を突き動かしてくれる。

僕もいずれは、この地球上に肉体をもって存在できなくなる時がくるだろう。その時までに、少しでも後世に何かを残すことができればとか、少年の純粋さを失わぬようにとか考えると、といつも焦ってしまう。でも、こうやって何か途方も無い目標に向かって突き進んでいられる事が、幸せなのだと実感している。

モクノアキオは、ニューヨークシティ大学の音響芸術学部生で、一日の大半を不気味な彫刻の散りばめられたゴシック建築の城の様な校舎の中で、音楽の事ばかり考える日々を送っている。

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