ニューヨーク特派員報告
第48回

プロフェッサーズ


 今週の金曜日は、マジソンスクエアガーデンでマンハッタン区コミュニティカレッジの卒業式に参加する。全米で1番巨大で、黒人と移民の多いニューヨークを象徴するかの様な短大で、生徒のほとんどは働きながら勉強してる苦学生が多い。僕は、そこに、国際貿易センターが倒壊してから約4年間、在学した。教師もいろいろと個性的な方々が多く、そんな出会いも興味深い体験であった。

 教授にもいろいろなタイプから、ホームワークが多い教科とそうで無い教科の差がある。例えば、音楽物理のウォルドマン博士などは、全く宿題もださず講義が中心で、週に1回、管弦音の実演会を催すだけという楽しいクラスであったが、西洋文明の授業などは、毎回、エッセーを提出せねばならぬような面倒な教授もいる。

 フランス語の教授は、本業は映画の脚本でも博士号をもっている女性で仏映画や演劇を観てディスカッションする会などを行なったりもしている。ピーターブルック脚本の『ティエルノボッカー』というコロンビア大学でやっていた演劇に連れていってくれた。アフリカのイスラム教徒の話で、音楽も現地の生楽器を使っていて極めて効果的であった。

 GED(米国の大検)のクラスのマリアン先生も僕をよくギャラリーとかに誘ってくれた。チェルシーのギャラリーでリタアッカーマンのロリータ系の作品を観ていた時、マリアン先生がリチャードカーンというB級セックスバイオレンス系写真家兼映画監督と知り合いで、ソニックユースのビデオ作りにも携ったことがあると知った。クラスにはやる気の無い生徒が多かった為、マンツーマン状態の授業も多く、得した気分がしたものであった。

 音楽史のアンダーソン博士は、とっても情熱的なレクチャーが印象的だった。彼自身いくつかの交響楽団の指揮者も務めているので、作曲家の気持ちや組曲の細部に至るまでとてもセンシティブに反応する。ベートーベンを大音量でながしながら、『僕がどれだけ感じているかをドラッグつかってでも、君達に伝えたいっ!!』と瞳をウルウルさせていた。

 高校の頃、僕は、教育は洗脳だと思っていた事もあって、授業にはほとんど参加せずに映画館やライブハウスに通って、そこで得たものから自己の確立につとめていたわけだが、洗脳という考え方は、国境を越えて事実が一致したのを確認した今、改めて勘違いであったと思ったりもする。80年代のティーンネイジャーによくみられる大人になるのを拒む(モラトリアム)症候群に共通するひとつの幻想だったのだろう。

 僕をそんな反骨精神や自由への憧れへ誘ってくれたのは、小学校3年生の時の担任のオオビツ先生だ。先生は、彼独自の教育方針を成し遂げる為に、学校側との衝突が絶えなかった。保守的にできている教科書の内容より、ありのままの事実を伝えようとし、学校の方針を一切無視していた。使用してはいけない時間に体育館で、キャッチボールをして教頭先生と口論したり、ひょうたんの肥料を作る為、給食の残飯をバケツにため学校中に悪臭を漂わせたり、その型破りな行動は例をあげ出せばキリが無い。僕は、その先生が好きでたまらなかった。後にも先にも、彼のようなユニークな教師をみた事は無い。

 まさか、こんなに長く学生でいるとは考えた事も無かったが、勉強する事は、もはや生活の一部だ。一時は独学も試みたものの、やはり授業を受ける方が効果的に知識を修得できる。学問を追求することは、教育者というフィルターを通して、知識だけでなく、その向こう側にある事すら見いだすことができる機会がそこに在る様なきがする。秋からは、シティカレッジの音響芸術学科へ編入する。ぼくの学生生活はまだまだ続きそうだ。

 モクノアキオは94年に渡米。エレクトロプタスなるノイズバンドに参加しつつ、音楽の勉強をしている。

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