ニューヨーク特派員報告
第39回

真夏のマイアミ


試験は、エーリッヒフロムの非服従についての文について、理不尽な権力に対し『No』を言えるようになるには、知恵と勇気が必要で、それが『自由』という事だということを、辿々しい英語で書いて、僕の苦しかった夏の授業が終わった。教授は、最後の授業を、彼の直筆の文で120%演出し、生徒達の涙を誘った。でも、僕の本当の夏は、週末のマイアミ。オフシーズンという訳で、エクスペディアの230ドルという安値で購入した2泊の旅に、高鳴る胸の鼓動を抑える事ができなかった。

朝6時発の飛行機で、9時半にはもう椰子の木の茂るビーチにいた。時差も、気温もたいしてニューヨークと変わり無く、高い湿度は名古屋の夏を思い出させてくれた。着陸直前のマイアミ上空からみた景色は、ある境界線から向こうは延々と続く湿地帯で、その中にただ一本のハイウエイが走っているのがみえた。細長い島のマイアミビーチは、空から見てもターコイズブルーに透けて見えた。

荒々しく波の高いニューヨークや、穏やかだけど冷たいサンフランシスコの海とは違い、マイアミビーチの表情は、内海のビーチに少し似ている。水の色はもっとグリーンな感じで、水温は少し暖かめだ。コニーアイランドあたりなどは、焼け付くような砂浜とは裏腹に、水は氷の様に冷たく急に深いし、なんかリラックスし難い。が、マイアミは200メートル先くらいまで足のつく遠浅で、浜辺は海から爽やかな風が吹いてきてとても居心地がよい。

生まれて初めて、赤道に近いところにやって来た証に、朝5時半に起きて日の出を拝みにいった。時差が無いのに、夜明けはニューヨークより2時間くらい遅く、オレンジ色のお天道様が顔を出したのが7時すぎ。一旦、現れたら恐ろしいくらい目に見える早さで、水平線から昇っていった。ヴィムヴェンダースの『ブエナビスタソーシャルクラブ』の舞台、キューバが、その向こうに有る。

椰子の木があちこちに茂り、ギューギュー鳴いている野鳥達、歩道の際にいる見た事も無いトガゲもトロピカル。昼間から葉巻などを片手にピニャコラーダを飲んで、泳ぎ疲れたらクーラーの効いたホテルの部屋で、昼寝を決め込んだ。

ホテルから10分くらいのところに、マイアミで一番栄えているリンカーンロードがあり、少し飯がてら探索した。何の変哲も無い、グリニッジビレッジみたいな観光客用のモール。なんか、米国内にいる感じから抜けだせない感じがして、すぐに浜へ戻った。もし世界中がアメリカみたいになったら、世の中は退屈になると思った。

マイアミはほとんどの人はスパニッシュで会話する。アジア人の姿はあまり見かけず、メキシコ人達はニューヨークにいる連中より輝いて見えた。キューバに近いせいか、みんな葉巻をすっている。マンハッタンの様に人々は昼過ぎくらいから行動し始め、街は朝まで賑やかだ。クラブもたくさんあり、8月末にはMTVのヴィデオアワードの授賞式を毎年やっている。

たまに刺して激痛を与えてくるクラゲを気にしながら、でも、できるだけ、海に浸かっていた。翌日朝6時には、ホテルを去らねばならなかったから、最後の日は、夕日が沈むのを沖から眺めていた。水の中で逆立ちして、見た空は、偏光してきれいに和らいでいた。小さなエイやカニにも出会えた。その後、晩飯はすごく古ぼけた建物のキューバンレストランで、鯛の蒸し焼きをサングリアを飲みながら食べた。テレビでは、日本人選手がマラソンしていた。観光客の姿はあまり無かったけど、そのボロっちい雰囲気と、やたらと小刻みに咳払いするじいさんウエイターが、オーセンティックだった。

ニューヨークに戻ってきたら、共和党大会に対し、何百万人の皆が、反ブッシュをかかげデモ行進をしていた。金持ちの為のグリーディな政治を打倒されねばならない。国民を騙して戦争を始めた理不尽な権力に対して、NOを掲げるのだ。

モクノアキオは渡米してもう10年になる。大学生をしながら、前衛パンクバンドに参加していて、ローワイースト、ウィリアムズバーグあたりで、活動している。

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