OOSU PRESS
2001 Dec NO.114

ザ・クラッツの九州漫遊記

photoボ・ディドリーも来日した2001年、雷蔵率いる「ザ・クラッツ」はこの秋九州に初上陸した。
2001年9月27日。狭く汚いオンボロ・ワンボックスカーに乗り込んだ4人。ハンドルを握るのはVo後藤雷蔵、助手席にはGt濱洋介、後部座席にはBa清水元、そして僕Dr久村俊一郎が陣取った。今考えるとツアー初日(28日)の福岡西新JAJAに到着するまで、この陣形が変わる事は無かった。つまり雷蔵は名古屋〜福岡間の約XXXkmを完全走破したのである。それまでのクラッツ爆走伝説には「台風接近!!通行止寸前高速道路群馬〜名古屋間完全走破」というものが存在した。もちろんその伝説も雷蔵の仕業なのだ。今では凄いと思えるのだが、何度も眠りに落ちる運転手の運転する車は不安と恐怖で・・・。とにかく無事に九州上陸を遂げたザ・クラッツは初日から言わずと知れたアクセル全開ライヴで宣戦布告!!翌日29日には黒崎マーカスにも雷鳴を轟かせた。

ツアーに出れば、やはりその土地の名物に触れ合いたくなるもので、九州に来たからには「本場トンコツラーメン」を食せねばと、ラーメンの看板に目を光らせるのはラーメンマンを彷彿させるヘアースタイル、闘わないラーメンマン濱洋介だ。この男こうと決めたら頑固一徹「九州のトンコツラーメン」が彼の中では「九州だからトンコツラーメン」だったのだろう。いやいや決して僕は濱君を責めてる訳では無いのです。その昔どうしても「ちからうどん」を食べたいとうるさいので、残りメンバー3人で濱君の「ちからうどん待ち」をした事なんて全然気にしてませんから・・・。確かに訪れたラーメン屋さんのトンコツラーメン達は美味かったが「のり+玉子+紅しょうが」のトッピングこそが本場なのではないか?と勝手な解釈なのだが妙に納得してしまう僕は、長崎生まれ名古屋育ちの九州男児!?なのである。

そんな九州に別れを告げ関西へ移動する。つくづく小さな日本が大きいと感じてしまう瞬間だ。ドライヴ好きの僕も黙って窓の外の猛スピードで通り過ぎていく高速道路の植木の数を必死で数えてしまう程の精神状態に陥ってしまう程だ。

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北九州の首領、ライブハウス・マーカスの親分とクラッツ濱
 
   

2日尼崎ライヴスクエア突撃!翌日3日ツアー最終日心斎橋ミューズホール。関西は往生しましたでぇ、ガソリンスタンド一つも探せぇへん!気付いたら片側5車線の一方通行を張り切って逆走しとんねん!わてらクラッツでんねん、必死やねん!そうそうワシが急に腹下ってな車止めてもろて便所にチキチキマシン猛レースしたねん。やる事やって戻って来たら車おらへんねん。携帯は車の中やし手元には財布とポケットティッシュしかあらへんねん。ただでさえデカイ男が迷子なっとんねん。困ったがなぁ。ふんばった後にまたふんばって心斎橋ミューズホール探して歩いたちゅうねん。ライヴ始まるまでには探し当てたんやけどな。ライヴもツアーも気が抜けへんなぁ、クラッツって(笑)。

そんなこんなで約1週間もメンバーと共に過ごし無事帰宅。そして残ったのはツアーの疲れと増えた伝説。「生きる伝説メーカー雷蔵」はライヴはもちろんツアーでも止められない!というよりは止めたくないね、俺は(笑)。


  12/15(sat) @ell.FITSALL
with チビクロジャンボ/N.B.K./SOUL LED BURNS/BAKAMUSI

open18:00 start18:30 ad\2000 day\2500(without drink)
Ticket Now on Sale!
 
 

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