OOSU PRESS
2001 Jul NO.109

ニューヨーク特派員報告
第3回

実験するパーティ+/-


良くあたると言う噂の占い師はボイストレナーでもあり、僕の音楽での行方にあたっては成功するのはむつかしいが多くの人に頼られると予言されたのは1997年。その年の5月に、ブライアンが、DJ+ダンサーの即興の企画からエレクトロニックなライブをやりたいと僕とジョーに持ちかけてきました。そこはbarXIIというインド人地帯にありそれっぽい飾り付けと鏡に囲まれた地下で、音響もショボかったけどライブに飢えていた僕はやる気満々でした。

ジム*1の絡みから沢山のインダストリアル系の大物達が鑑賞に来てくれたり、実際興味深いアーティストが次から次へと参加してくれたなか僕は、半レギュラー状態で色々編成を変えて演奏してました。フィンランドから来たアカペラパンクロッカー、パスカ(フィンランド語で糞)とのデュエットの写真は新聞にも掲載されました。アメリカにはホントにシンセマニアが多く沢山の自作シンセプレイヤーがいました。日本からはデミセミクエーバーの人々やアマリリスのアリスちゃんとかも、参加してくれました。何より嬉しかったのは、ぼくの高校の頃の憧れのジムフィータスが常連のように来てくれていた事です。

ぼくは、サンプラーを中心に99hookerという哲学を網羅したアメリカ人の詩の朗読やパーカッションとジャムったり、モクノンとゆうユニットでhiphopと現代音楽を融合させたり、楽器だけに固執せづ、映像の即興とジャムることもありました。

実験とは、特定の現象や関係を研究するため、人工的な一定の条件を設定し現象を起こさせて、観察し測定することです。ある者は、断髪をしながら当たりに髪を散らかしながら歌をうたい、あるコンビは洗顔をしてる相方を背にひざまづいてサックスの超音波をはっしたり、ドラッグクイーンに囲まれて歌うアングラ映画監督ニックザットもしぶかったし、乳を振り乱しながら雄叫ぶ女性を激写する伝説の写真家ジェラードマランガ*2、完璧な暗室状態にして、ひたすら轟音で攻めるイタリア人、鉄板の上にでっかいモーターの振動音やスキー板を演奏したアーティストもいました。どれもこれも音楽という見地から立ってみると聞くに耐えない音なのでしょうが、コンセプトを理解している観客も受け入れる体制も素晴らしく、とてもいい空気でした。チャージをとって無い企画だったので、ギャラはライブ前の中華とドリンクチケットだけでしたが、出演希望者が次から次へと絶えませんでした。去年、ブライアンがインドへ修行の旅にでてしまい、この企画はフェードアウトしてしまいましたが、今もこのニューヨークのどこかでいくつかのアバンギャルドが産声をあげているのが僕には聞こえてきます。


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