ニューヨーク特派員報告
第195回

冬至の儀式


冬至。それは一年で一番夜が長く、日照時間が短い日である。毎年この日は、儀式的な意味を持ったイベントをよく目にするわけだが、今回は、暗闇の中でフリードリッヒ・ハースの弦楽四重奏を聴くという、僕的にはかなり唆る内容のコンサートが行われたので、足を運んでみた。

ゲオルグ・フリードリッヒ・ハースは、現代音楽の作曲家である。彼の音楽は、スペクトラル楽派というものに分類される。スペクトラルというのは、音響上の倍音解析などをもとに曲を構築したりしているもので、12音階での半音をさらに半音に区切った四分音(マイクロトーン)などを多用し、調性を超えた不思議(不気味)なハーモニーの音楽である。そういった前知識がなく聴くと音痴的不安定から、非常に気持ちの落ち着かない状態に陥る可能性がある。

ハースは、私生活で自らがマゾであることを隠さない。というか、夫婦間のサドマゾ的性生活を奥さんが公開しているという方が、正確かもしれない。もしかしたらそうやって、辱められていることも彼には快感なのかもしれない。ニューヨーク・タイムスの記事によると、ハースの創作欲は、彼女に出会ってから倍増したらしい。ヨーロッパでドキュメンタリー作家が『芸術家と変態』というタイトルの映画製作のため現在、資金を集めている。初老の白人と若めでワイルドな黒人女性の性生活をオープンにするそのパフォーマンスは、ジョン&ヨーコをちょっと彷彿させる。それはエロスではなく政治的な表現なのである。

コンサート会場であるナショナル・ソーダストは、街中であるのにかなり無音に近い状態まで、外部からの音を遮断し、内部の音の反響も最小限に抑えられている構造になっている。通常、コンサートが始まるとシャッターが閉められ、出入りは制限される。そんな場所なので、電気を消すと完璧な暗闇になる。真っ黒。目隠しをされているように何も見えない。これは日常ではあり得ない感覚遮断。空調装置も止まっている。薄暗さにあるようなロマンティックさのかけらもなく、その闇は、どちらかというとサディスティックで、一瞬、過呼吸になりそうになった。

真っ暗な中、ジャック・カルテットによる弦楽四重奏第9番の初演が始まった。延々と続くロングトーンが微分音の不安定なハーモニーを奏でる。マイクは一切使っていない。音に集中できるといえば、そうだ。だが、何も見えなくても、実際、肩の触れる位置に人がいることは解っている。ちょっとでも動けば触れる。そういった気配の向こうから音が飛んで来るような感じがあった。視覚を奪われるという自らの選択ではない状態は、軽いパニックとして知覚にノイズを生じさせた。

しばらくして闇に馴染んできた頃、嗅覚が敏感になってくる感じがした。隣の女性からだろうか、何か懐かしい地味な香水の仄かな香りが漂ってきた。そういった些細な刺激が、通常以上に想像力を掻き立ててきた。自分が、ハースの微分音責めに浸りきれず、そういった煩悩ノイズに惑わされることがちょっと情けなくもあった。コンサート前にアルコール摂取したことが悔やまれた。

ジャック・カルテットは、前にもジェイソン・エッカートの曲をストロボライトと共に演奏した。眼球に痛みを与えるほどの突き刺さる閃光を、四重奏のユニゾンと共に発し続けていた。が、精神に異常をきたす恐れを感じたので、目を強く瞑っていた。それでもその強烈な光は、まぶたの薄皮を通過してきた。その時も、そういった音以外の刺激に、音楽鑑賞を阻まれた。しかし作者としては、そういった精神的効果も計算した作品であろうことは想像に難くない。もしかすると高度な芸術鑑賞には苦痛が伴うことが避けられないのかもしれない。

これだけ視覚的にも聴覚的にも絶え間無く情報が氾濫している現代の都会では、完全なる闇と無音状態は、中途半端なヴィジュアルのたれ流しよりもずっと刺激的である。そういった空間を利用した闇の中でハースを聴くという体験は、筆舌に尽くしがたい冬至の芸術儀式なのであった。

もくのあきおは、音楽家。主に電子音響/実験音楽の作曲とノイズバンドなどで活動している。

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