ニューヨーク特派員報告
第199回

学ぶこと


労働するより勉強することの方が楽しい。自分の甥や姪もどんどん成長して進学していく。勉強できる子もいれば苦労している子もいる。自分もそんな時期があったなあなんて考える。母からは勉強するべき時にしなくて、今頃やるなんて変わっているわねと言われたりもするが、なんで中学や高校の頃、そんなに勉強に熱心になれなかったのか、ふと考えてみる。今となっては勉強することはとても有意義なことだと思う。まとまった時間を作ってリサーチしたり、プロジェクトにとり組んだりもっとしたい。またそうすることによって救われる自分があるから不思議だ。

世の中は知らないことばかりである。色々学ぶことは、それに気づかされることと同時に、少しずつ視野が広げることができる。物事をいろんな方面からみることができるようになる。人類とはどういう歩みをたどってきたかだんだん想像できるようになる。そしてその想像は、より具体的になり、そこからこれからのことを考えたりもできるようになる。世界史や、文学、心理学、哲学や物理学など知れば知るほど自分の視点は多角度になり思考の領域を広げることができる、それは毎日の何気無い出来事を興味深いものにもしてくれる。

例えば、どういう経過をたどって戦争が勃発したのか、なぜ戦争が途絶えることがないのか、また戦時中の言論統制やそういったことがいかに芸術に反映していったか、またその時代に芸術家や文学者達はどういった立場をとり発言もしくは表現してきたか。など非常に興味深い。例えばナチスが蔓延っていた時代にも、社会風刺の演劇や、無調音楽、さらにダダイズムなどの芸術運動など政治体制に批判的な表現があった一方、イタリアの未来派はファシズムに偏り、戦争を煽るものもあった。ナポレオンに対するゲーテやベートーベンのリアクションも興味深いし、ソクラテスやキリストのように民衆のみせしめに殺されていった経過や、豊臣秀吉と千利休の関係などからも学ぶことはたくさんある。

僕のような放浪生活に憧れるものは、何か特定のグループに属することを好まないし、ナショナリズムがすごく苦手だ。我々は自分の意思で全てを決断して生活しているように考えがちだけど、実は何かもっと大きな外からの法則みたいなものに流されていると思う。人はそれを神と呼んだり無意識の世界のなんたらと呼んだりする。そういったことはそれこそ人類が社会を作って暮らし始めた紀元前からそれこそプラトンやブッダも考えていたわけで、そういうことを知ること人間心理の根本を知ることになるし、そういった知恵がどのように今に伝えられてきたのかとか考えるとそれはもうロマンである。

社会学などを勉強するといかに我々一般人の生活が、ごく一部の資本家達に牛耳られているかと知り、やるせない気分にもなるが、現実を知ることは重要である。そもそも何も知らないと、知らず知らずのうちにいいように利用されてしまう仕組みがあちこちにあることに気がつく。なぜ我々は精神に異常をきたすまで働いても対して豊かな暮らしができるわけでもなく、また満たされることがないのか? 欲にかられた資本家達が賃金で働く労働者を搾取する構造を変えることができないのはなぜか?そしてその資本家達に都合よく政策を進めていく政治家達が権力を持ち腐敗が止まらないのはなぜか?

知識が足りないと考えることがあまりできなくなり、関心も薄れていく。自分の意見もどうでもよくなって、周りに流され始める。面倒なので周りの意見にテキトーに賛同していると、個人としての意識が薄くなり群衆の中の一部になる。周りにあわせているだけの無思考な集団が増えることは権力者には都合が良い。大抵の人々は日々の暮らしに、幸福の追求に忙しく、いろんな新聞に目を通したり、本を読んだりする時間が無い環境を作ってしまうので簡単にこの状況に陥りやすい。反知性主義という言葉があるが、同じ主義でも無政府主義とはかけはなれた危険な主義で暴力的ですらある。

学ぶということは結局、何かを知ることには違いないが、何かこう、心の奥底にあるものを言語化する能力をえることに行き着くような気がする。そして言語でまとまらない知性の表現がアートなのでは無かろうか。歴史は繰り返す。繰り返してしまうのは、過去からすら学ばない勢力が蔓延してくるからなのだろうと昨今のニュースから感じてしまうのは、僕だけだろうか。

モクノアキオ は米国生活24年。コロンビア大学でイベント関係の仕事をしながら、電子音響音楽の作曲や即興演奏を中心に活動している。

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