ニューヨーク特派員報告
第203回

母との二人旅


しかし今年の夏はあぢい。ここ数年の間で、一番汗をかいた。日本にいた7月後半も猛暑だったが、ニューヨークに戻ってきてからの8月も暑かった。あっちこっちで汗びしょびしょになった。9月に入ったいまもまだ暑い。異常に沢山の発生している台風も、明らかに温暖化を物語っている。ところで話は変わるが、その暑い7月の帰省の際、生まれて初めて母と二人旅をした。レンタカーで日本海側に向かって、永平寺から、金沢を抜け能登半島の真ん中あたりにある和倉温泉まで足を運んだ。

父が2年前に亡くなってから、母と二人きりの時間は長くなった。そもそも厳格で突然怒りだしたりもする父がいなくなって実家にいる時の緊張感が無くなった。永眠してしまった父は、お仏壇で穏やかなスマイルをしているから、かつてのように顔色を気にすることなくのんびりできる。仏様になってしまった父とは、般若心経を読んだりお供え物をしたりする時に記憶を呼び戻す時にのみ接する関係になった。とはいえ、そのDNAが僕の体を根本にあるわけだが。

母は、子育てが終わった後、岡崎の山奥に住む両親の世話をし、そして父が病気をしてから10年以上、ずっと寄り添って支えていた。だから今はやっと訪れた自由な時間を謳歌している。父がいなくなってしばらくはひとり暮らしに慣れない様子であったが、次第にやりたかったことを積極的にやり始め、園芸、卓球、そして旅行などに忙しくしている。特に、病気だった父とはゆっくりできなかった旅行に力を入れているようだ。バスツアーなども一人で出かけたりしている。僕が帰省する数ヶ月前から、一緒に旅する計画もいつも立てている。今回の、福井―金沢の旅も母が計画して旅館も手配してくれた。

運転は僕がするわけだが、日本の車線は右左が逆とはいえ問題なくできる。ハンドルがある方向が道の中心と考えているし、アメリカに比べ平均して丁寧で礼儀正しいドライバーが多いのも、運転しやすい理由だ。天白の実家から山を抜け2時間半くらいで永平寺についた。永平寺には先祖の骨が納骨してあるのと、禅カルチャーが好きなのでかねてから訪れたいと思っていた場所であった。カーナビの誤作動からか、妙な裏道を通って熊にまで遭遇してしまった後、たどり着いたその寺は、予想を遥かに上回る巨大でまるで木造ではあるがミラノの大聖堂に共通する荘厳さをも感じさせる建築であった。道元の時代から長い歳月をかけてあそこまで大きくなったのであろう。瞑想道場へ続く長い階段といい、入り口の部屋にあった天井の絵といい、見所がたくさんある素晴らしい建築物であった。

きっと福井観光の王道であろうが、その後、田園を抜けて東尋坊へ向かった。自殺の名所で有名な絶望的なイメージがあったけど、行く途中にサザエに壷焼きなど海の幸を売っていたり、土産物屋があったりする海水浴場っぽいゆるい雰囲気であった。ポスターなどでみる迫力ある地獄のような断崖絶壁も駐車場の方から歩いていくと、どれなのかわからないくらい、ごく一部でちょっと残念であった。アメリカ西海岸のビック・サーはあれに良く似た絶壁が延々と続いているのを見ているからであろうか、ポスターの写真ほどの迫力はなかった。

翌日は、金沢の兼六園で母とデートした。真夏の日差しの照りつける灼熱の大名庭園は、松が縄で保護されているあのイメージとは異なる景色ではあるものの、見応えのある枝の松が数々あった。金粉の入った抹茶で目を覚まし、ベンチに座って二人で一句ずつ読んだ。あまりに適当な俳句だったので内容は忘れたが、母の父は短歌を読むひとだったので何気におじいさんを偲んでいたわけだ。とにかく、そんなタイムスリップな気分にさせてくれる風情がそこにはあった。

その後、能登半島を1時間くらいドライブして和倉温泉に一泊した。結構有名な温泉街らしく、賑わっていた。お湯も肌がすべすべになる上品なぬめり具合であった。帰りは氷見で味のしまったハマチを食べて、白川郷で合掌づくりの力強い建築を堪能して帰ってきた。車で母は最初から最後まで後部座席に座っていた。バックミラーをちらっと見るたび、前のめりになって心配そうに前を見つめている顔が映っていた。相当、ヒヤヒヤしていたのだろう。

もくのあきおは、音楽家。主に電子音響音楽の作曲とノイズバンドで活動している。

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