ニューヨーク特派員報告
第205回

「新思想体系」としてのロック


ひょんな事から、あがた森魚さんの新譜制作を手伝っている。彼の表現するモダニズム的な独特な世界観や声の質感は昔から好きだった。歌をリバイスしまくり妥協なく追求して行く姿や、音に求めているコンセプトの感触など、色々と勉強になる。初めてニューヨークを旅してきたあがたさんは、1980年にニューウェーブ色の強い『乗物図鑑』というアルバム出した。その日本初のインディ・レーベルと言われるヴァニティ・レコードのプロデューサーは、僕がかつて愛読していた雑誌、『ロックマガジン』の編集長であった阿木譲である。奇しくもその阿木譲の訃報をあがたさんから聞いた10月末。改めて、彼のロックと思想の軌跡をなぞってみたいと思った。

僕が10代であった80年代前半、音楽はラジオとレコードで流通していた。ラジオではランダムに音楽に出会え、レコードはモノとして音楽をパーソナルな所有物としての価値を持っていた。つまり聞きたい音楽を再生するためには、レコード屋に出向いて購入し、オーディオセットを揃えなければならないという、今から考えれば大変な労力を要した。さらにインディーもののレアなレコードだと妙な付加価値がつくので、さらに高い値段で流通していたりした。だからなのか、その頃は音楽より先に噂や批評やインタビューなどの紙媒体からの情報が先に手に入りやすかった。今のように、検索一発で簡単に音源を再生できる時代から考えれば、随分不便なようにも感じられるが、音を想像したり、念願の音楽を聴取できる喜びというものがあった。

だからか、80年代は新譜やミュージシャンのレビュー・批評を中心とした音楽雑誌が面白かった。渋谷陽一のロッキンオン、中村とうようのミュージック・マガジン、北村昌志のフールズメイトなどそれぞれがあまりかぶることのないジャンルを取り扱っていた。その中でも一線を画していた阿木譲の『ロックマガジン』は、主に海外のインディ・アーティトの情報が多く、誌面のレイアウトやデザインも洗練されていてアーティスティックであった。掲載されている文章もインタビューも表現者としての思想が色濃く反映されていて読み応えがあった。阿木氏自身がヨーロッパを周りインタビューしてきたものも多くあった。

『ロックマガジン』は76年から81年頃まで大阪で出版されていたもので、僕は最後の41号をまだ持っている。ここでは、ディス・ヒートが『Deceit(偽り)』を発表する直前のインタビューが掲載されている。当時のイギリスの社会情勢からサブ・カルチャーまで、多岐に渡って語られていて、これがこのバンドを知るきっかけになった。ニュー・ウェーブが流行り始めていた当時、「新感覚」というものを探っていた阿木氏は、冒頭の文章でこれから始まらんとしている80年代の音楽を「誰ともどっちともつかぬハイブリッドな《歪曲された遠近法》の中の迷宮世界は、拡大された微粒子間の隙間(空白)のようにただ無感覚なもの」と予測していて、まさに当時のわざとらしいくらい無機質さを演出していたトレンド(テクノ)を思い出させるのである。

巻末のレコード評の隙間には、しきりに「レコードは所有しなければ音楽を体験したことにはならない」と主張していて、興味ぶかい。そしてそれらの所有物は、「我々の正直な精神欲求、無意識の象徴」だと書いてある。確かにレンタルで借りてカセットにダビングする行為は、(今で言う不法ダウンロードみないなこと)、複製を制作するという作者の意図しない作業によって、そのアルバムそのものに潜む、コンセプトやレコード板そのものの奏でるその独特の音響世界をないがしろにしていることになる。高度な芸術を堪能する為には、聴取する側の姿勢も大切なのだ。本当の美とはエフェメラルなのだ。

阿木譲の『ロックマガジン』が、今ニューヨークで音楽活動をしている自分に与えた影響は大きい。そして、なにか得体の知れない音楽やパフォーマンスを私的あるいは脳内体験のパフォーマンスとして文字化することの自由をインスパイアされたのだと再認識する。いつか、彼のやっているバーに行きたかったけど、今はあがたさんから、いろんな話を聞かせてもらうことにしよう。合掌。

もくのあきおは、電子音響音楽の作曲をしつつ、ノイズバンドなどでも活動している。

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